【水バラ 温泉はしご対決旅!】橋本じゅんは朝ドラブギウギで林部長を熱演

【水バラ 温泉はしご対決旅!】橋本じゅんは朝ドラブギウギで林部長を熱演 NHK朝ドラ

1月17日にオンエアのテレビ東京「ワンコイン温泉はしご対決旅」にベテラン俳優の橋本じゅんさんが出演します。

橋本じゅんさんはNHK朝ドラ「ブギウギ」の序盤にてヒロイン鈴子が入団する「梅丸少女歌劇団」の林部長役を演じました。

林部長が鈴子の梅丸入団を許可をしなかったら福来スズ子は誕生しておらず、ドラマ「ブギウギ」はそこで終わってしまいました。

つまり鈴子のその後の一生を左右する大事な局面に立ち会う重要な人物を演じたのです。

道頓堀にある梅丸少女歌劇団(USK)の音楽部長。歌劇団の現場責任者。強面て)だが、実は優しく面倒見が良い。

NHK ブギウギ 人物相関図

そんな橋本じゅんさんが演じる林部長には、宝塚歌劇団から松竹歌劇団に移籍した経歴を持つ松本四郎という実在したモデルがいます。

林部長の実在したモデルがどんな人だったか気になりませんか?

林部長役の橋本じゅんさんのプロフィール、そしてモデルとなった松本四郎について総力を挙げて調べるとともに、ほぼ同時期に宝塚から松竹への移籍を果たし松竹歌劇団のスタートアップに貢献した人物が他の2名についても簡単ながら触れております。

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梅丸少女歌劇団 林音楽部長役 橋本じゅんのプロフィール

林部長を演じる橋本じゅんさんのプロフィールです。

数多くのドラマや映画に出演し、劇団☆新感線では看板俳優。

ことさら多くを述べる必要がないほどです。

名前 橋本じゅん(はしもと じゅん)
本名 橋本 潤
生年月日 1964年2月25日
年齢 59歳(2023年9月現在)
身長 168cm
血液型 B型
出身地 兵庫県神戸市東灘区
所属 enchante
所属劇団 劇団☆新感線

橋本じゅんさんは直近では、テレビ朝日系のドラマ「ハヤブサ消防団」に出演していましたので(2023年7月~9月)見覚えのある方も多いのではないでしょうか?

橋本じゅんさんについてはここまでとなります。

続きまして橋本じゅんさん演じる林部長のモデル、松本四郎についてです。

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梅丸少女歌劇団 林部長のモデルは松本四郎氏

※松本四郎ではありません。

白井松次郎:昭和ガイドより

1921年、松竹創業者の白井松次郎は宝塚公会堂で舞踊『春から秋へ』を鑑賞し松竹楽劇部の設立の志を強くしました。(宝塚少女歌劇団は1914年創設)

そして1922年、松竹楽劇部を設立。

最終的に宝塚の関係者から舞踊家1人と作曲家2人を、合計3人を招聘しました。

その中の1人が作曲家松本四郎氏であり、梅丸少女歌劇団林部長のモデルその人です。

ドラマ「ブギウギ」と史実(笠置シヅ子)との名称の違い

ドラマと史実の名称の違いは次の通りです。

ブギウギ(鈴子) 史実(笠置シヅ子)
不合格 花咲少女歌劇団 宝塚少女歌劇団
理由 ??? 身長/器官が弱かった
合格 梅丸少女歌劇団(USK) 松竹楽劇部生徒養成所
(大阪松竹少女歌劇団/OSSKD)

(OSK日本歌劇団)
音楽部長 松本四郎
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笠置シヅ子と音楽部長松本四郎の出会い

1926年頃に笠置シヅ子は宝塚を受験し落選しましたが、同時期に花街の芸妓の下地っこ(芸妓に仕立てるために養育して芸を習わせること)にしたいという声掛けもあったのです。

宝塚を落選してしまったシヅ子に残る選択肢は・・・芸妓修行の一択。

しかしシヅ子は芸妓になることは気が進まなかったので、宝塚落選を母に告げると同時に松竹楽劇部養成所に願書を出したと告げたのでした。

実際は願書も出していなければ松竹楽劇部養成所は生徒の募集もしておらず、シヅ子がとっさについた嘘なのです。

芸妓になるのは嫌だったシヅ子は意を決して松竹座(松竹楽劇部養成所の本拠)の楽屋に乗り込み自分を売り込みをしましたが門前払い。

このまま引き下がっては芸妓屋の奉公が決まってしまうため、数日間松竹に押しかけたところで松竹側が根負け。そして取り次いでくれたのが松竹楽劇部養成所音楽部長の松本四郎です。

シヅ子は松本四郎の膝にグリグリと力を入れてすがり、これまでのいきさつを全て包み隠さず話して松竹への入団を頼み込んだのでした。

呆れ顔で私の顔を見つめていましたが「よう喋るおなごやな。そんなに喋れるのやったら、身体もそう悪いことないやろ。よっしゃ、明日から来てみなはれ。」

出典:笠置シヅ子自伝 歌う自画像  私のブギウギ伝記

ブギウギ林部長のモデル、音楽部長 松本四郎とは?

音楽部長:松本四郎

作曲家松本四郎氏の生没年は不明。

この松本四郎という方の経歴について調べましたが、松本四郎同様に宝塚歌劇団から松竹歌劇団に移籍した楳茂都陸平(うめもとりくへい:1897~1985)原田潤(はらだじゅん:1882~1946)のような詳細がわかる資料にたどり着きませんでした。

松本四郎が笠置シヅ子との出会った1926年(大正15年/昭和元年)、このとき「痩せた中年」とシヅ子に語られた松本四郎の年齢は何歳くらいだったのでしょうか。

原田潤が44歳ほどの年齢ということを考えますと、同年代ということも考えられますね。

(こうなったら国会図書館の松本四郎に関する蔵書を調べてみたいところです。)

 

経歴が何も出てこないので、松本四郎名義で作曲・編曲されたものを集めました。

1921年(大正10年) 宝塚少女歌舞伎 第二幕 「忍ぶ草」
岡崎公会堂 ※作曲
歌劇
不詳
1928年(昭和3年)以前
大阪市立高等商業学校(旧制大阪商科大学→大阪市立大学 ※1928年旧制大阪商科大学→1944年大阪市立大学)※作曲 応援歌
1940年(昭和15年)7月 夏祭り 歌謡曲
1953年(昭和28年)11月16日 公演記録詳細(KOMAKI BALLET COMPANY With NORA KAYE・PAUL SZILARD KONOE SYMPHONY ORCHESTRA)
1. ジゼル 二幕 ※編曲
バレエ
1957年(昭和32年) 福井県 坂井市立三国南小学校 ※作曲 校歌

果たしてこれらが全て笠置シヅ子に合格を出した松本四郎が作曲したものなのか、それとも同姓同名のものなのか?

もしも三国南小学校の作曲が松本四郎音楽部長のものであれば、松本四郎は少なくとも1957年あたりまでは存命だったということになります。

宝塚歌劇についての研究論文を発表し学位を授与された阪上由紀博士(芸術学)の論文においても、松本四郎については初期の作曲家として「松本四郎(生没年不詳)」と記載があるのみで、それ以上は名前が出ていません。

また原田潤についての貴重な論文「原田潤-その筆跡と生涯」(武石みどり著)においては、楳茂都陸平と原田潤の宝塚から松竹に移籍した状況がつづられていますが、松本四郎の異動については一切触れておりません。

これらの資料で楳茂都陸平と原田潤は松竹移籍後に再度宝塚に戻っていることが把握できますが、松本四郎がその後松竹にとどまったのか?2人のように宝塚に戻ったのか?全く別の道に進んだのか?は謎となっています。

笠置シヅ子の自伝において松本四郎が最後に登場するのは、笠置シヅ子が松竹楽劇部に入所して数年経たないうちに、踊りに見切りをつけ声楽に転向した際に松本四郎にお願いしたというくだりです。

その後伝記には松本四郎の名前が出てきません。

松本四郎が松竹とのかかわりがいつまであったのか?その後どうなったのかは定かではありません。

楳茂都陸平と原田潤 宝塚→松竹→宝塚 移籍の流れ

松本四郎の詳細が不明なので参考までに、楳茂都陸平と原田潤の移籍の流れをまとめてみました。

【1921年(大正10年)10月】楳茂都陸平が宝塚から松竹創設時に引き抜かれる

【1992年4月】楳茂都の招きで原田潤も松竹に参加

【1923年10月】楳茂都陸平が松竹を辞職(※1)

※1松竹との意見の不一致、原田潤とのけんかなどが原因

【1923年12月】この頃までには楳茂都陸平が宝塚と復縁

【時期不詳】原田潤、松竹を辞職

【1924年10月以降】宝塚で原田潤の既発表曲が上演

【1925年1月~7月】宝塚で原田潤の新作発表曲が上演

※原田潤は上記期間中に宝塚に戻ったと推察

【1925年8月以降】原田潤、宝塚を辞職(※2、※3)

※2小林一三(こばやしいちぞう:阪急グループ、宝塚歌劇団の「創設者)とけんかをしたため(原田潤談)

※3神経素弱が高じた為、小林一三に外遊を進められたことを辞職勧告と受け取ったため(原田潤息子の嫁談)

・・・このように、楳茂都陸平と原田潤については詳細が伝えれていますが松本四郎については不明です(くどいですが)。

作曲家:原田潤の貴重な写真

作曲家:原田潤

原田潤:にいちゃんの「なつめろダイアリー」より

原田潤についての貴重な論文「原田潤-その筆跡と生涯」(武石みどり著)

舞踊家:楳茂都陸平

楳茂都流三代目家元:楳茂都陸平

楳茂都陸平:楳茂都流HPより

楳茂都流四代目家元:楳茂都扇性(片岡愛之助)

楳茂都扇性(片岡愛之助):楳茂都流HPより

楳茂都陸平は、江戸時代から続く日本舞踊 上方舞の楳茂都流三代目家元。

20歳の若さで宝塚音楽歌劇学校の教師振付師となりました。

1985年に楳茂都陸平が無くなって以来、楳茂都では家元不在の状態でした。

しかし2020年、テレビドラマなどで活躍しお茶の間で大人気の上方歌舞伎の片岡愛之助を四代目として迎えたのでした。

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梅丸少女歌劇団 林部長役 橋本じゅんとモデル松本四郎のまとめ

「ブギウギ」において鈴子の梅丸少女歌劇団合格の鍵を握り、その後の鈴子が歌手として成功したは林部長の功績が大きいところです。

そんな林部長のモデルとなった松本四郎の実像は謎に包まれていますが、ブギウギの放送により大きくクローズアップされることで生い立ちや晩年の松本四郎像が明らかになってほしいと思います。

またブギウギでは楳茂都陸平と原田潤がモチーフとなる出演者がいるかどうかも気になりますよね。

そしてこの2人の偉人もブギウギ放送を機に松本四郎同様に歴史の表舞台に出て欲しいと願うところであります。

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