2023年後期スタートのNHK朝の連続テレビ小説(朝ドラ)「ブギウギ」。
主人公・花田鈴子のモデルとなった戦前戦後の歌手笠置シヅ子さんの生涯を描いたストーリーです。
実在のモデルを参考に物語として脚色される朝ドラですが、笠置シヅ子さんの生涯を描く中でどのようなストーリーとして放送されるのか気になるポイントが個人的に何点かあります。
まずはあの女王「美空ひばり」さんと対立関係になるくだり。
そして朝ドラ「わろてんか」のヒロインにもなった吉本興行創業者の吉本せいさんとの関わり合いとか。
シヅ子の出生の秘密と実母との再会。
ドラマではどのような展開になるのかシヅ子さんの史実について気になっているポイントを紹介したいと思います。
「ブギウギ」主人公モデル・笠置シヅ子さんとは?
「ブギウギ」の主人公・福来(ふくらい)スズ子(幼少期:花田鈴子)のモデルとなった笠置シヅ子さんは、戦前から戦後にかけて芸能界で活躍した歌手で、後に女優活動に専念した女性です。
当時歌謡界ナンバー1の地位を築いたスーパースター。
淡谷のり子さんが「ブルースの女王」と言われ、笠置シヅ子さんは「ブギ」の女王と言われました。
多くの歌手が笠置シヅ子さんの歌のカバーをし、日本の音楽界に多大な影響を与え、なお今も与え続けている偉大な歌手です。
しかし後年は歌手業に限界を感じて歌手業の廃業を宣言し、女優活動に専念しました。
「ブギ」歌唱を巡って美空ひばりさんとの対立について
あの女王・美空ひばりは、笠置シヅ子の「東京ブギウギ」(1948年1月発売)など歌マネがきっかけで有名になりました(後年、東京ブギウギをカバー)。
二人の初共演は、美空ひばり歌手デビュー前です。
昭和23年(1948年)10月、横浜国際劇場で初共演した2人でしたがこの時は和気あいあいの出会いとなったようです。
しかし、2人の間に亀裂が入りました。
昭和24年(1949年)1月、美空ひばりは日劇のレビュー『ラブ・パレード』でブギを歌う少女役で出演することに。
歌うブギは笠置シヅ子さんの「ヘイヘイブギ」(昭和23年:1948年4月発売)。シヅ子側から歌う許諾を得て作曲した服部良一からも指導を受け練習を重ねていたほどでした。
しかし・・・なぜか舞台本番直前で笠置シヅ子サイドからひばりさん側への謎のNG通達。
本番まで時間が僅かしかない時間内で交渉を重ねた結果、本番5分前にひばりさん側は何とか「東京ブギウギ」(昭和22年/1947年発表、昭和23年/1948年1月発売)を歌うことがOKに。
「ヘイヘイブギ」はしっかり練習に取り組んでいましたが「東京ブギウギ」を舞台で歌う曲としては未練習。いくら天才少女美空ひばりとは言え、練習が無ければ流石に歌の出だしを間違ってしまったようです。
どのような理由があったのでしょうか?
いずれにしても美空ひばり側にも確執の気持ちが生まれてしまったことでしょう。
このようないきさつがありましたが、東京ブギウギを歌う姿が人気を博した、と言う話が定説だけに美空ひばりにとってもあまりにも大きな結果オーライだったということでしょうか。
そして昭和25年。
は笠置シヅ子と美空ひばり双方にアメリカ公演計画が持ち上がりました。
美空ひばり側が5月予定でということで笠置シヅ子側の6月予定よりも1か月先。
どうやらお金に困った笠置シヅ子のマネージャーが金銭目的で美空ひばり側にシヅ子のアメリカ公演情報をリーク。美空ひばりが笠置シヅ子をまんまと出し抜いた形となりました。
美空さんが先にアメリカで笠置シヅ子の持ち歌を歌ったら、いくら笠置シヅ子がその歌の本家でもアメリカではパクリが来た思われてしまいますもんね。
その対抗策として、日本著作権音楽協会(JASRAC)を通じて美空さんが笠置さんのブギの持ち歌を歌うことを禁止を通達しました(笠置シヅ子のブギ禁止令)。
笠置シヅ子の持ち歌歌唱を禁止されては、歌手デビュー間もない美空ひばりの持ち歌は3曲ほど。これではアメリカ興行が成り立つはずもなく大変困ったことでしょう。
こうしてアメリカ興行白紙を検討しましたが、禁止令はアメリカまででは及ばないと治外法権を利用?してアメリカ興行を実施、美空ひばりは笠置シヅ子の歌を歌いました。
翌年の昭和26年(1951年)2人は歌番組で共演して和解しています(美空ひばり公式サイト「年表」)。
この2人の対立のくだりが「ブギウギ」で描かれるのか。
もしそうならばどう描かれるか楽しみです。
「ブギウギ」主人公モデル・笠置シヅ子さん出生について
本名 | 亀井 静子(かめい しずこ) |
生年 | 1914年(大正3年)8月25日 |
没年 | 1985年(昭和60年)3月30日 |
出生地 | 旧・香川県大川郡相生村黒羽(父方) もしくは 引田町(母方) |
現・東かがわ市相生黒羽 / 東かがわ市引田 |
笠置シヅ子の出生場所は?
笠置シヅ子の自伝によると、父方の実家(相生村黒羽)もしくは母方の実家(引田町)いずれかということです。
父方の実家の住み込み女中として働いていたシヅ子の実母が、跡取り息子との間で出来てしまった娘がシヅ子で両親は結婚を許された間柄ではありませんでした。
いわゆる隠し子だったようです。
その事実がどこからか露呈してしまい、父方の実家から怒りをかってしまったのか、クビを言い渡された身重のシヅ子の実母は引田の実家に帰りました。
父の実家の相生村で産んでから帰ったのか、母の実家の引田町に帰ってから産んだのか。
シヅ子自身はわかっておりません。
その後シヅ子は生後半年まで母方の実家のある引田で育てられました。
笠置シヅ子の義母、亀井うめ
誕生後、シヅ子は母親以外の女性から母乳をもらって育ちました。
これには理由があります。
シヅ子の母(19歳ぐらい)は体があまり強くなくでお乳の出がよくなかったため、シヅ子は泣きまくりでした。
そこに大阪から里帰り出産で引田町に帰省していた 亀井うめ という女性がシヅ子を不憫に思いお乳を提供してくれました。
面倒見の良いうめは、出産した自分の子供に授乳しつつ合間にシヅ子にお乳をあげてくれたのです。
シヅ子はお乳の出が良いうめによくなつきました。
実母はうめにシヅ子を預けて、生計の為の細々とした仕事の為に一日中外出していたことが多かったようです。
シヅ子の実母は本当に助かったことでしょう。
しかし日が経つにつれて亀井うめはシヅ子に情が移ってしまったのです。
当初はシヅ子を手放すことが惜しくなったと冗談めかしく話していたことが、最終的には現実となりシヅ子を大阪に連れて帰ることになったそうです。(生後半年)
シヅ子の実母はかねてより周囲から体調面経済面からシヅ子を手放すことを勧められており、うめの登場は大変ありがたかったのですが・・・。
我が子を手放すシヅ子の母の心情は・・・引き渡しの前夜、シヅ子の母は落ち着かない様子でじっとシヅ子を抱いたまま泣き明かしたそうです。
シヅ子、7歳頃までは父方の実家に顔を出す。
シヅ子は義母うめが実母と信じて疑わず育ちました。
引田町に帰省しても、父方の実家のある相生まで足を伸ばして家にも出入りをしていたようです。
ここで1つの疑問。
シヅ子の両親は結婚を認められていなかったので三谷家では私生児扱いだったシヅ子。
どうして父の実家に出入りできるようになったのか?
その理由。
シヅ子が生後1年経ったころ、実父三谷陳平が亡くなってしまったのです。
シヅ子の祖父母は1人息子(シヅ子の父)を若くして亡くしたことに気落ちし、祖母もすぐに息子を追うように亡くなり、祖父は気持ちが挫けてしまったのか、まずは実母谷口鳴尾が三谷家に出入りすることを許し、1人孫のシヅ子にも会いたがったのです。
7歳頃まではこのようにシヅ子の実父の実家にも出入りをしていたのですが、それ以降は近づかないようになったのです。
出生の秘密を知られないために義母であるうめがそうさせたです。
シヅ子、18歳の秋に実の母の存在を知る。
18歳の夏に義母うめと香川に避暑の為に帰省したシヅ子。
うめの実家の引田に寄らずに白鳥の旅館に宿泊していました。
白鳥にはうめの親戚宅がありましたが、親戚宅に泊まることは避けました。とにかくシヅ子の出生の秘密が親戚の口から洩れることを恐れて旅館での宿泊を選んだのです。
年頃になり理解力が増したシヅ子の耳には少しでも余計な情報が入らないようにしたかったのです。
しかしこうしてわざわざ旅館に宿泊していたことが白鳥の親戚にバレてしまい、引田のうめの実家に告げ口をされてしまい仕方なく実家に移動したうめとシヅ子。
(自分たちの家に泊まればいいのに、あてつけがましく旅館に泊まったと)
ちょうど、シヅ子の実父の17回忌の法事が目前に迫っている時期でした。
そして引田にあるうめの実家は相生のシヅ子の実家からシヅ子が法事に出席するよう依頼を受けていたのでした。
うめは引田の実家に戻るなりこの依頼について聞かされましたが2つ返事でお断り。
18歳位となればちょっとしたことでわかってしまいますからね。
と、いう事ですぐに2人で大阪に帰る船を手配しますが、あいにく暴風雨で大阪行きの船は欠航。
そうこうしているうちに大阪で営んでいる銭湯から帰阪命令が出てしまい(多忙につき人手が足りず)、うめは不安を抱えながら一人で大阪に帰りました。
なんだかんだでうめは法事出席を依頼された実家の面目を潰したくなくなったのか、シヅ子を法事に行かせることを承諾したのです。
シヅ子としてはてあくまで誰か親戚のものと認識して出席していた法事の席。
酔った参列者によって語れられた事実がシヅ子の耳に入り、その後うめの実家で真実を問い詰めたことによりシヅ子は実の母がいることを知ったのです。
シヅ子、実母と会った場所は?
気になったシヅ子はうめの兄嫁(叔母)を追求し、ついに出生の秘密と実母の存在を聞き出したのです。
そしてシヅ子は実母に会うべく、叔母から聞いた実母の家に向かいました。
その場所はどこなのでしょうか?
引田の叔母は「学校の裏の畳屋の隣の仕立物の看板を出している」とシヅ子に教えました。
現地を訪ねたシヅ子はその学校について「明治35年(1902年)に建った古びた小学校」と感想を述べています。 その学校こそが引田尋常高等小学校です。
引田高等尋常小学校について香川県近代教育史年表(序~明治期)によると「明治35年11月3日大川郡引田尋常高等小学校開校式挙行。」とありますのでシヅ子の言う古い学校で間違いないでしょう。
(その前身の引田尋常小学校は明治20年頃開校)
引田尋常高等小学校、現在は跡地が駐車場となっています。
その後引田小学校となった場所に現在引田小学校はありません。
引田中学校とともに近年別の敷地に移転して引田小中学校となっている為です。
そして再会した詳細な場所については・・・
「桜が過ぎると校舎の南側の(中略)・・・運動場の垣に沿って用務員部屋から物淋しい裏通りに出ると5.6軒ほどで右のほうに歩きました。そこが曲がり角になって道は更に山すその方へ左折しています。曲がろうか引き返そうかと思い戸惑っている私の眼に畳屋のくすんだ看板が目に入りました。」
笠置シヅ子自伝 歌う自画像 私のブギウギ伝記より
美しい古い街並みが現存する尋常高等小学校跡地周辺ですが、当時の地図や図面が無い為、再会を果たした詳細な場所は謎のままです。
引田高等尋常小学校の跡地の周囲のどこかが谷口鳴尾と笠置シヅ子が再開した場所という事になります。
いずれ地元の図書館などで当時の地図を見ながらそれがどこなのかを考察したいものです。
出生を知ったシヅ子の苦悩や実母との再会が「ブギウギ」でどのように描かれ方が気になります。
笠置シヅ子自伝 歌う自画像 私のブギウギ伝記 [ 笠置 シヅ子 ]
笠置シヅ子と他の朝ドラ主人公との嫁姑?の関係について
笠置シヅ子さんは吉本興業の創業者「吉本せい」の次男・吉本頴右さんとの間に子供を授かっています。吉本せいは2人の結婚を認めていなかった為、未婚状態での出産でした。
その後、シヅ子が芸能界引退を条件に結婚を認めてくれましたが、その前に吉本頴右は22歳で亡くなってしまった為に結婚が実現しませんでした。
吉本せいはNHKの朝の連続テレビ小説「わろてんか」のモデルになった人。
朝ドラ主人公同士で嫁姑のような関係だったという事ですね。
「ブギウギ」ではこのくだりはどのような脚本となって放送されるのでしょうか?
ブギウギ主人公モデル・笠置シヅ子さん芸名の変遷について
1927年(昭和2年) | 三笠 静子 | 初舞台 |
1933年(昭和10年) | 笠置シズ子 | 歌手活動時 |
1957年(昭和32年) | 笠置シヅ子 | 歌手廃業宣言・女優転向後 |
シヅ子さんは3度芸名を変えています。
歌手・ブギの女王として名を馳せていた時の芸名は「笠置シズ子」という事になります。
朝の連続テレビ小説には実在となるモデルがいますが、完全な再現ドラマではありません。
ドラマ「ブギウギ」の中でも芸名が変わるくだりがあるのでしょうか。
昭和24年出演の映画。
笠置シズ子名義の時の作品画像はなかなか見つかりませんでした。
ブギウギ主人公モデル・笠置シヅ子さん出演のカネヨンのCMについて
笠置シヅ子さんと言えばこのコマーシャル。
1971年(昭和46年)からカネヨ石鹸が販売している日本初の液体クレンザー「カネヨン」のCMに出演し、「洗剤のおばはん」でおなじみになりました。
ちなみに、カネヨンは同じ用途の他社製品よりも汚れを取る力が強いようです。
カネヨンのCMはその後、ドラえもんの声優の大山のぶよさんも出演しています。
現在はTVCMを打っていないのではないでしょうか。
カネヨ石鹸の公式サイトにも情報がありません。
日用品メーカーとしての知名度も売り上げも安定でしょうし、わざわざCMを打たなくてもバイヤーさんも仕入れを継続的にしてくれるでしょうしね。
「ブギウギ」の中では、CM出演の下りがあるのでしょうか。
ブギウギ主人公モデル・笠置シヅ子さんの代表曲「東京ブギウギ」について
1947年に「東京ブギウギ」が大ヒット。
東京ブギウギは聞いたことは無い人でも、その曲調を聞いた人は多いのではでしょうか。
そう、TVでよく目にする「クリアアサヒ」のCMです。
ウルフルズのトータス松本さんによる東京ブギウギの替え歌です。
笠置シヅ子「東京ブギウギ」
戦後間もない頃の歌謡界にあってシヅ子さんのパフォーマンスはこれまでは異なり斬新でした。
東海林太郎さんなどのように歌を聴かせることを重視する従来の歌手のスタイルと異なり、シヅ子さんのステージは派手なアクションでダイナミックに動き回りながら歌い踊るスタイル。
根底にあるのはザ・大阪バリのサービス精神。
それまでの歌唱方式によく見られたまっすぐに立って歌うだけのスタイルではありませんでした。
笠置シヅ子さんの元気なスタイルは、戦後の解放的なムードを映し出したようなものでした。
ドラマ「ブギウギ」において、斬新なステージ裁きがどのように誕生に至ったのか、周囲からはどのような反応があったのか楽しみですね。
朝ドラ「ブギウギ」個人的ポイントまとめ
朝ドラ「ブギウギ」で個人的に笠置シヅ子さんについて注目するポイントは下記の通りです。
(思いつくところがあれば加筆します)
- 笠置シヅ子の生涯全般
- 史実通りのような出生のくだりはあるのか? → ありそう(放送その他で判明)
- 実母との再会のくだり(あるのか?)→ ありそう(放送その他で判明)
- 芸名変更のくだりはあるのか
- 歌唱スタイルが世の中に受け入れられる過程
- 美空ひばりとの対立が描かれるのか
- 姑?吉本せいとのやりとりのくだり
- カネヨンCMのくだりはあるのか
まぁ完全な再現ドラマではないので、むしろそこをどう脚色するのか(歪曲も含めて)が楽しみなところです。
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