【水曜日のダウンタウン】【ゴットタン】人気ナレター服部潤のプロフィールと経歴は?

テレビ

服部潤さんは、ほぼ毎日その声を聴いていると言ってもいいぐらいの売れっ子人気ナレーターです。

渋くて生真面目な雰囲気なのに、面白みを交えた悪意の有るナレーションが本当に良い味を出しています。

服部潤さんの素敵なお顔とプロフィール、経歴をまとめました。

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人気ナレーター服部潤 顔写真

声の雰囲気からして服部潤さんも素顔は「七三分け、ポマード、黒ぶち眼鏡、もう少し年配、融通きかない」、こんなイメージでした。

しかし素顔の服部潤さんはこんな感じで若々しくて素敵なオヤジ、といった感じでした。

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人気ナレーター服部潤 一週間のレギュラー

売れっ子ナレーター服部潤さんの現在わかっている1週間のレギュラー番組です。

パット見で「あの番組のあの声の!」とわかる人気番組ばかりです。

日曜日 千鳥のクセスゴ!、あざとくて何が悪いの?(深夜)
月曜日 アイ・アム・冒険少年
火曜日
水曜日 水曜日のダウンタウン
木曜日
金曜日 ミュージックステーション
土曜日 王様のブランチ、ジョブチューン、有吉いいeeeee!、ゴッドタン(深夜)

※2023年6月現在
※抜けていたらすみません。

人気ナレーター服部潤のプロフィール

服部潤さんは、1967年2月25日東京都生まれの現在56歳。

身長は172cm、血液型はAB型です。

所属は声優やナレーションの方が初zくする青ニプロダクション

極度の近視のようでしたが、2018年レーシック手術により視力0.08が2.0に。

その後落ち着いて1.5に。

年齢的にも老眼という定めからは逃れられず老眼鏡使用です。

服部潤さんは、雨マークの天気予報を晴れにするほどの晴れ男です。

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人気ナレーター服部潤の学歴

服部潤さんの小中学校生活は転校の連続でした。

親御さんの職業によるものかと思われますが、親御さんのご職業の情報は得られませんでした。

転校生活が多かった小中学校
小学校 1 多摩市立南永山小学校(東京都)
2 茨木市立茨木小学校(大阪府)
3 坂戸市立坂戸小学校(埼玉県)
中学校 1 坂戸市立北坂戸中学校(埼玉県)
2 小金井市立小金井第一中学校(東京都)
高校

東京都小平市にある私立錦城高校を卒業しています。

高校生の頃は俳優志望で養成所に通っていました。

大学(受験失敗)

日本大学芸術学部(日芸)の受験に失敗

後述しますが、その後はアルバイト生活→オーストラリア旅行→ホテルマン→ナレーション業となります。

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人気ナレーター服部潤の経歴 高校卒業からナレーターに就く前まで

後の売っこナレーターとなる服部潤さんは、先述の通り高校卒業後日本大学芸術学部(日芸)を受験するも失敗、その後おおよそ3年間はアルバイト生活を送りました。

そして22歳の時に約1年間オーストラリア旅行をしました。

オーストラリア旅行から帰国後の1990年、「ハイアットリージェンシー東京」でホテルマンとして職に就きました。

https://twitter.com/jun_voices/status/1542376658585284609
https://twitter.com/jun_voices/status/1417168854485069826

26か27歳の時に本人曰く「衝撃的に」ナレーターの世界に飛び込みました。

ある日、TBSの深夜番組でラジオのディスクジョッキーのドキュメンタリーを見て『これだ!』と思って。昔から『声がいいね』と言われていたこともあって、『これだよ、これ!』と(笑)。次の日すぐにTBSに電話して、放送されていた事務所の連絡先を教えてもらって。ホテルマンをやりながら、スクールに通い始めました。

町あかり テレビの仕事人に会いたい!

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人気ナレーター服部潤の経歴 服部潤の初めての声の仕事

服部潤さんがナレーターとしてデビューは、1995年の安室奈美恵さん出演によるTAITOの通信カラオケ「X-55」のCMのナレーション。

1995年の安室さんと言えば、安室奈美恵 with SUPER MONKEY’Sとして「TRY ME~私を信じて~」、ソロで「太陽のSEASON」などのリリースを経て、小室哲哉プロデュースがスタートし「Body Feels EXIT」をリリース。

唯一無二の安室伝説がスタートとなった年でした。

その曲がTAITO「X-55」で使われ、後の売れっ子ナレーター服部潤さんのデビューとなったわけです。

https://twitter.com/jun_voices/status/1041178972027940864

人気ナレーター服部潤の経歴 服部潤の初めてのテレビの仕事

服部潤さんのテレビでの初の仕事は、1997年のテレビ東京の「車天国ラブラブドライブ」という番組。

この番組の情報は得られませんでしたが、どうやらカーマニアの芸能人を毎回ゲストに招いて進行する番組のようです。

第1回のゲストは伝説の名車トヨタ2000GTで有名な俳優唐澤寿明さん、という内容でナレーションテレビデビューの服部潤さんでした。

テレビ東京の、車に関するバラエティー番組でした。第1回の放送は唐沢寿明さんが出ていましたよ。

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人気ナレーター服部潤の経歴 有名番組担当に

1997年から番組終了の2018年まで人気番組「みなさんのおかげでした」のナレーションを担当しました。初のテレビ番組「車天国ラブラブドライブ」と同じ年ですね。

2005年、自他ともに代表作と自負するTV東京のバラエティ番組「ゴットタン」のナレーションがスタートしました。

水曜日のダウンタウンは2014年4月スタート。

一番最初にナレーションした説は・・・【競歩の選手 全員他の陸上競技で挫折した人説』】です。

人気ナレーター服部潤、意外な時期

順風満帆のナレーション人生がスタートしたものと思い込んでいましたが、仕事が無くて暇な時期があったようです。

ツイートの投稿年から逆算しますと2001年頃のようです。

「みなさんのおかげでした」は番組として続いていたのでこの番組のナレーションとしての仕事はあったと思うので、たまたま仕事のスケジュールがぽっかり空いたのか、それとも定期的なナレーションの仕事量が本当少なくて暇だったのか・・・?

今や押しも押されぬ売れっ子ナレーターにも一時的とはいえ、このような時期があったということは驚きです。

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人気ナレーター服部潤 ユーモアたっぷり

我々が水曜日のダウンタウンを視聴している時は、服部潤さんのンナレーションもひっくるめて面白いのです。

しかしナレーションの収録をしている時服部潤さんも元になるVTRを見てその面白い内容に笑いがこらえきれないそうです。

先程、服部潤さんの勝手なイメージとして「七三分け、ポマード、黒ぶち眼鏡、もう少し年配、融通きかない」と挙げましたが、見た目も真逆、人柄も真逆でした。

『水曜日のダウンタウン』も、あれは淡々と読んでいるように聞こえるかもしれないけど、実は抑揚がついていたり、“間”とかもよく考えながら表現しています。あとは中途半端じゃダメ! 自分が担当した番組は録画して確認するんですけど、『もっと思いっきりやっちゃえばよかったなあ』と思うことはいまだにありますよ! ディレクターに『ちょっとやりすぎです』って言われるくらい振り切っちゃうのが、正しいやり方かな。アドリブを入れることはほとんどないですね。文字は変えずに“表現”で面白くしていこうと。とにかく、ディレクターの思ってることを越えてやろう!と思っていつもやっていますね」

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普段からユーモアがあり、かつ製作意図を理解しているからこそあのようような絶妙なナレーションができるのですね!

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人気ナレーター服部潤は結婚をしている?

服部潤さんは既婚らしいです。

奥様の情報は出てきませんでした。

一般女性の方でしょうか。

情報が出次第追記しますね。

服部潤のプロフィール・経歴のまとめ

声だけのイメージとご保人の素顔のギャップが大きい服部潤さんでした。

今では大物ナレーターの服部潤さんですが、業界に飛び込んだ経緯も異色でしたね。

これからも素敵で面白いナレーションで世の中の人たちを幸せに導いてください!

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