ワテ、香川に行くで【笠置シヅ子】香川大阪間の船の航路とシヅ子の足取り

ワテ、香川に行くで【笠置シヅ子】香川大阪間の船の航路とシヅ子の足取り NHK朝ドラ
ワテ、香川に行くで【笠置シヅ子】香川大阪間の船の航路とシヅ子の足取り

ブギの女王、笠置シヅ子。

香川生まれで大阪育ちの笠置シヅ子は、幼少から青春時代にかけてたびたび香川に帰省していたという話が伝わっています。

現代であれば、自家用車や高速バスで大阪から淡路島を経て徳島県と香川県に入ることもできますし、大阪から高松までフェリーで行くこともできます。もちろん鉄路、新幹線と特急を乗り継ぐなどの移動手段もあります。

大正から昭和初期にかけてシヅ子はどのような移動手段で大阪と香川を行き来していたのでしょうか。

私はシヅ子の大阪と香川を行き来した交通手段が知りたくて仕方がありませんでした。

方々調べても手掛かりは見つからず・・・しかしシヅ子の自伝にそのことを知るヒントがあったのです。

シヅ子が自身の出生の秘密を知ってしまった時の香川帰省に焦点を当てて、シヅ子が利用した大阪香川間の交通手段についてまとめてみました。

引田町史より:引田村での10代の笠置シヅ子

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笠置シヅ子18歳、香川への帰省

シヅ子が利用した大阪香川間の交通手段をまとめる前に、シヅ子が自身の出生の秘密を知ってしまった時の香川帰省について触れたいと思います。

本題に入る前にしばしお付き合いください。

笠置シヅ子、出生から大阪移住、そして・・・

笠置シヅ子は香川県の相生村で生まれましたが、実母(鳴尾いと)がシヅ子の実家に受け入れてもらえない事情がありました。

そのため、実母(いと)はシヅ子を連れて実家のある引田に帰ったのでした。

引田にいたのは、大阪在住で里帰り出産中の亀井うめ

後のヅ子の養母となる女性です。

実母(いと)が乳の出が悪かったので、うめが頻繁にシヅ子にお乳をあげていました。その縁でシヅ子は亀井家家の養女となりました。

そして生後半年の頃、シヅ子は養母となったうめともに引田から大阪に渡り、亀井家の一員として大阪での生活をスタートさせることになったのです。

その後シヅ子が7歳の頃までは引田帰省の際には、実母が折り合いが悪かった実父方の相生にも立ち寄っていました

しかしシヅ子が小学校に上がってからは引田に帰省しても相生には立ち寄らないようになったのです。

シヅ子が相生に立ち寄った時に、ふとしたことから出生の秘密がシヅ子の耳に入るかもしれない、そのことを恐れたからです。

しかしシヅ子18歳うめの実の娘ではなかったことを知ってしまう時が・・・・

シヅ子18歳、香川への帰省での出来事

シヅ子は18歳の秋に気管を悪くして松竹少女歌劇を休演しました。シヅ子と養母(亀井うめ)と義弟(八郎)の3人は香川に避暑目的で帰省し、郷里引田に近い白鳥(しろとり)に滞在しました。

白鳥にはうめの親戚宅がありましたが、そこは敢えて避けて旅館に投宿しました。

シヅ子には養女であることをこれまで秘密にして育ててきたうめ。

18歳と年頃になったシヅ子が少しでも出生の秘密に触れないためにシヅ子を親戚から遠ざけたいと言う、うめの配慮でした。

白鳥での滞在がバレる、そして引田への移動

白鳥在住のうめの親戚は、白鳥に滞在している亀井親子の存在を知りました。

旅館の関係者が親戚に告げたのか、それともしれとなくうめが親戚に滞在の旨を伝えたのか。

白鳥の親戚は引田の本家に亀井親子滞在の事実を伝えました(告げ口)。

ほどなく引田から白鳥に使いの者が来て、亀井親子はやむなく引田に移動することになりました。

シヅ子への実父17回忌参列要請

引田の本家で兄(シヅ子の叔父にあたる)がうめが告げたことは、シヅ子の実父の法事(17回忌)にシヅ子を出席させてほしいという依頼でした。

これは引田の叔父が相生にあるシヅ子の実父の家族側三谷家)から要請されていたことなのです。亡くなったシヅ子の実父にとってシヅ子は1人しかいない子供。三谷家にとって強い要望であったと思われます。

うめ、シヅ子の参列を断る

うめは即座にシヅ子の参列を断りました。

シヅ子が実父の法事に顔を出してしまうと、何かのはずみで出生の秘密を知られてしまう可能性が高かったからです。

そんなこともあり、うめはその晩すぐに帰阪する手配をしたのですが、その晩急な暴風雨の為に大阪行きの汽船が欠航になってしまったのです。自伝によると引田の叔父は「仏が止めている」とニヤリとしたそうです。

この汽船が欠航になったというくだりこそが「シヅ子の交通手段が船であった」ということを知ることができた決定的な手掛かりとなったのです。

船については後ほど詳細に記載致します。

法事参列を許して養母うめ(と八郎?)、シヅ子を残して帰阪する

数日して、大阪の養父からうめ宛に帰阪命令の電報が届きました。

稼業の風呂屋が多忙となり人手が足りなくなったためです。

船が欠航してから電報が届くまでの数日の間にうめに心境の変化があり、依頼を受けた兄の面子を潰すことを避けたいと思うようになりました。

兄の顔を立てたうめは、シヅ子が実父の法事に参列することを許可したのでした。

一方でシヅ子に出生の秘密がバレないよう周囲に手配し、うめはシヅ子一人を引田に残して帰阪しました。

実父の法事にて異変を感じる

笠置シヅ子の実父、三谷陳平

法事は親戚の誰かのものと思い込んで参列したシヅ子ですが、酔った参列客が不用意に発した言葉に違和感を覚えました。その言葉に内容とは、シヅ子出生の秘密につながるようなものでした。

それに気づいた周囲の参列客は誤魔化すことに躍起になりましたが後の祭りだったようです。

引田に戻り、真相を知る

法事が終わり、引田の本家に戻ったシヅ子。

叔父には自身と相生の三谷家との関りを直接聞きにくかったらしく、叔父の長女に尋ねました。

シヅ子に問い詰められた長女は答えに窮してしまい、母(叔父の嫁、叔母)に振ってしまいました。

叔母は法事に参列していて状況の一部始終を見ており知らんぷりができず、ついにはシヅ子に出生の秘密を打ち明けました。

実母との再会

笠置シヅ子の実母:鳴尾いと

叔母から全てを打ち明けられ、引田にいる実母の所在地も知り、意を決して実母と再会したシヅ子でした。

養母のうめは、シヅ子が出生の秘密を知ってしまったことは終生知らなかったそうです。

我が子以上に愛情をもって育ててくれた養母に対するシヅ子の親孝行でもあったのです。

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シヅ子の香川帰省 大阪と香川を結んだ航路は?

前置きが長くなりましたが、ここからが本題となります。

大阪から香川への帰省の足は船

シヅ子が出生の秘密を知った香川への帰省。昭和7年頃だと思われます。

海上交通が盛んな時期でもありますし、うめが慌てて帰阪する際も船を手配していました。

そういった事実からシヅ子の大阪から白鳥までの移動手段は船で間違いありません。

そして下船は白鳥港と考えられます。

最初からこの時の香川帰省の目的地が避暑地白鳥だったからです。

大阪から引田・白鳥までの船。航路は?

大阪と香川を結ぶ航路として、大阪高松線が存在しました。

明治28年頃から就航が開始し、運用する船会社が変遷したり、同じ航路を運用する会社が複数あってろして競争した華やかな時代もあったようです。

引田町史、大内町史、白鳥町史を調べたところ、当時の大阪高松線の寄港地は次の通り。

大阪ー神戸ー淡路島(郡家ー志郡ー湊ー福良)ー四国(撫養ー引田白鳥ー三本松ー津田ー志度ー高松)

航路と寄港地を現代の地図に当てはめてみました。

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笠置シヅ子香川大阪往復 辿ったかつて大阪と東讃岐を結んでいた海上交通路

※昭和7年当時の大阪高松線の淡路島の寄港地については、各港全てに寄港したかどうかは再度詳しく当時の資料を調べなければなりません。就航開始当時(明治28年)や大正中期はこの寄港順だったようですが、昭和に入り寄港地が割愛されている可能性もあります。

大阪高松線の航路地図画像の現在の東かがわ市付近を拡大。

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笠置シヅ子で盛り上がりを見せている、東かがわ市。

東かがわ市は、引田町、大内町、白鳥町が合併して出来た自治体。

それぞれの旧三町が大阪高松線の寄港地でした。

(三本松港、白鳥港はそれぞれ寄港廃止時期がありました)

シヅ子は大阪のどこから香川行きの船に乗船した?(港)

シヅ子が白鳥(香川県)行きの船に乗船した港はどこだったのでしょう

先程の画像の航路図には「大阪川口港」と記載しました。

引田町史による大正13年の摂陽商船の航路図に「大阪川口」とあったため、そのようにしました。

大阪川口港とは、安治川河口から5~6キロ上流(内陸)に進んだあたりにあり、大阪のビジネスの中心ともいえる中の島の西端から僅かの場所です。

川口は江戸中期には多くの船が行き来した賑わいのあった港です。

そして1868年、川口港は諸外国に開港しました。

当時税関もオープンし、外国人の居留地もありました

現在「大阪開港の地」となっております。

一方川口港の悩みとして、水深が浅く大型船の入港や接岸に不向きだったので、明治30年に新たに計画され明治36年に大桟橋が完成しました。その後最終的に都合32年かけて昭和4年に第1次計画の港が完成しました。

さて四国行きの船ですが、大阪発の港について「大阪天保山港」「大阪築港」と記載のあった資料もありました。

昭和9年発行の『四國靈蹟寫眞大歡』に阿波国共同汽船と摂陽(せつよう)商船が宣伝広告を出しているが、それによると、大阪の天保山港を午後10時に出て小松島港(写真2-1-17)に午前5時40分に着く便は、1,500tを超す当時としては大型船を用いて所要時間は7時間40分、大阪築港を午後9時に出て徳島港に午前5時30分に着く便は、400t弱の船で所要時間は8時間30分である。

愛媛生涯学習センター:データベース「えひめの記憶」

シヅ子が乗船した港についてははっきりとした事実が分かりませんでしたが、当時の住まいであり稼業の銭湯が大阪西区の鶴町か南恩加島であり、築港の第一次修築工事が完成した後でもあるので天保山からの乗船であったのかもしれませんね。

シヅ子は川口港から350tクラスの船に乗船はしなかったのか、できなかったのか、食い下がりたい気持ちもありまして当時の川口港に関する写真を探してみました。

まずは安治川口付近の写真ですが、いつ頃の写真でしょうか。現在の同じ付近の写真と風景も川幅も大きく異なます。そして重さがわかりませんが大きな汽船が見えますね。

引田町史に記載があったように大阪川口港から350tクラスの船が出航していた可能性がありますよね。

次の写真は更に古そうです。写真には川口波止場と記載があります。

付近に大きな船が無く、渡し船と思われる小舟にはビジネスマン風の男性が多く乗船しています。

もしかしたら写真奥の大型船?までの連絡船かもしれませんね。

出典:三井トラスト不動産

川口港からも築港からも四国行きの船便の設定があったのかもしれません(あくまで推察となります)。こういう推察も妄想も浪漫ですね。

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シヅ子が乗船したのはどんな汽船?

次はシヅ子がどんな船に乗船していたのか知りたいですよね。

当時大阪高松間の汽船を就航させていたのは摂陽商船株式会社で、白鳥丸・鶴羽丸・眉山丸(350トン)と華城丸(400トン)と言った汽船がありました。

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鶴羽丸:撫養港の「みなと文化」より

写真は撫養港(と思われる)に停泊している大阪行きの鶴羽丸

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白鳥港:白鳥町史より

そして白鳥港に入港しようとしている眉山丸、という貴重な2枚。

シヅ子は恐らくこれらの船に乗って大阪と故郷香川をたびたび行き来したのでしょう。

ちなみに白鳥港にはこのような大きな汽船を港に接岸することができませんでした(白鳥町史471ページ)。

その為、この写真のように沖合に停泊した船から渡し船を使って白鳥の陸地に上陸をしたのです。

シヅ子達一行はきっとこのように白鳥港沖で汽船を下船し、渡し船に乗って白鳥に上陸したことでしょう。

そして急な暴風雨に見舞われなければ、白鳥港の摂陽汽船待合所に立ち寄った後に大阪行きの汽船に乗船して帰阪したことでしょう。

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白鳥港の摂陽汽船待合所:白鳥町史

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シヅ子乗船の大阪高松間、乗船した汽船の下船時刻は?

白鳥町史によると、大阪行きの上りの汽船白鳥港の出航時刻午後2時か3時頃で、大阪港には翌朝の5時頃の到着とありました。

大阪港から香川に向かう下りの汽船の白鳥港の寄港時刻は午前6時か7時でした。大阪港出航時刻について白鳥町史では記載しておりませんでしたが、恐らく大阪港を午後3時か4時頃に出航していたのではないでしょうか。

【大阪港】15時か16時? →【白鳥港】 翌朝午前6時か7時

【白鳥港】14時か15時 →【大阪港】翌朝午前5時頃

しかしこの時刻表は数本就航していたうちの、1本の船の時刻表であると思われます。

引田町史(下巻486~487ページ)によりますと、「摂陽商船は大正13年から大阪高松線に鶴羽丸白鳥丸華城丸眉山丸を毎日1往復就航させた」との記述があります。

そして前述しましたが【シヅ子達は船で急ぎ帰阪したかったところ「急な夜の暴風雨で欠航した」】というくだりがありましたように、シヅ子一行が乗船しようとしていた少し遅めの時間の大阪行きの船便があったのではないでしょうか。

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大阪高松線の航路といくつかあった船便の時刻表の1つ

最後に

昭和3年に高徳線(高松ー徳島)が開通し、大阪から香川までの移動手段としては鉄路もあり得る状況でした。

しかしシヅ子が郷里香川への帰省の移動手段として利用したのは利便性上、きっと汽船で間違いありません。

大正から昭和初期という時代と、シヅ子が辿った航路と乗船した汽船。

当時はどんな風景が広がっていたのでしょうか。

思いを馳せてみるだけでとても浪漫を感じてしまいます。

(参考文献)

引田町史、白鳥町史、大内町史、笠置シヅ子自伝 歌う自画像 私のブギウギ伝記

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