2026年9月10日、北海道石狩市の厚田神社(あつたじんじゃ)で、豊作祈願祭の準備中に砲弾のようなもの4個が見つかりました。
神社周辺では一時、半径50mの住民に避難が呼びかけられ、その後、陸上自衛隊が4個を回収しました。
このニュースで「厚田神社」という名前を初めて知った人も多いのではないでしょうか。
調べてみると、この神社が創立されたのは嘉永元年(1848年)。
まだ「北海道」という名称すらなかった幕末、当時の蝦夷地に創立された神社でした。
ただし、厚田の歴史が1848年に始まったわけではありません。
石狩市の資料によると、この地域には約7000年前から人々が暮らした痕跡があり、江戸時代にはアイヌの人々が暮らす土地へ和人が漁業などを目的に進出していきました。
この記事では、砲弾4個が見つかった厚田神社の場所を地図で確認しながら、1848年の神社創立、ニシン漁で栄えた厚田、そして現在へと続く地域の歴史をたどります。
【この記事の要点】
・砲弾4個が見つかったのは石狩市厚田区の厚田神社
・厚田神社は嘉永元年(1848年)創立
・1848年は北海道命名より21年前で、当時は蝦夷地だった
・厚田では約7000年前から人々が暮らした痕跡が確認されている
・江戸時代の厚田は和人にとってニシンやサケ漁の重要な漁場だった
・厚田神社周辺には1891年の大豊漁を記念する豊漁記念碑も残る
- 砲弾4個が見つかった厚田神社はどこ?
- 厚田神社は厚田漁港を見下ろす場所にある
- 厚田神社をGoogleマップで確認
- ストリートビューで見る現在の厚田神社
- 厚田神社が創立されたのは1848年 まだ「北海道」ではなかった
- ただし「厚田の歴史」が1848年に始まったわけではない
- 「厚田」という地名にもアイヌ語に由来する説がある
- 江戸時代の厚田はニシン・サケ漁の重要な場所だった
- 北前船もやってきた 押琴には天然の良港
- 明治になると本州から厚田への集団移住が進む
- ニシン漁で栄えた厚田 1881年には人口1万2000人超
- 厚田神社には1891年の「豊漁記念碑」が残る
- 現在の厚田にも幕末・明治の歴史が重なっている
- 厚田神社を訪れたら立ち寄りたい周辺スポット
- まとめ
砲弾4個が見つかった厚田神社はどこ?
厚田神社があるのは、北海道石狩市の北部にあたる石狩市厚田区厚田1番地です。
札幌市中心部から見ると北側、日本海に面した厚田地区に位置しています。
まずは広い範囲の地図で位置関係を確認してみます。
札幌市街地から日本海側を北へ進んだところに厚田地区があります。
現在は石狩市の一部ですが、かつては厚田村として独立した自治体でした。
2005年、厚田村と浜益村が石狩市と合併し、現在の石狩市厚田区となっています。
厚田神社は厚田漁港を見下ろす場所にある
さらに厚田地区を立体的に見ると、神社と海との関係がよく分かります。

厚田神社は海岸線から少し内陸に入った高い場所にあり、その下には厚田の市街地や厚田漁港が広がっています。
石狩市の地域遺産資料でも、厚田神社は「厚田本村十字街を見下ろす位置」にあるとされています。
現在の地図だけを見ると小さな海沿いの集落に見えますが、この海との近さは厚田の歴史を考えるうえで重要なポイントです。
厚田神社をGoogleマップで確認
現在の厚田神社の場所はこちらです。
住所は北海道石狩市厚田区厚田1番地。
厚田の市街地に近く、周辺には住宅もあります。
ストリートビューで見る現在の厚田神社
道路側から厚田神社を見ると、石段を上った先に社殿があることが分かります。
今回の砲弾は豊作祈願祭の準備中、神社の祭壇付近で見つかったと報じられています。
報道によって「祭壇上」「祭壇の下」と表現が分かれているため、具体的に社殿内のどこに置かれていたのかまでは公表情報だけでは特定できません。
厚田神社が創立されたのは1848年 まだ「北海道」ではなかった
厚田神社の歴史を調べると、現在から170年以上前までさかのぼります。
北海道神社庁によると、厚田神社は嘉永元年(1848年)5月、村民の協議によって創立されました。
1848年と聞いても時代をイメージしにくいかもしれません。
そこで、厚田の歴史と合わせて時系列に整理してみます。
| 年代 | 厚田・北海道をめぐる出来事 |
|---|---|
| 約7000年前 | 厚田周辺に人々が暮らした痕跡が残る |
| 1661年 | 松前藩の絵図に「あつた」の地名が確認される |
| 1706年 | 松前藩によって厚田場所・マシケ場所が設けられたとされる |
| 1848年 | 厚田神社が創立 |
| 1869年 | 蝦夷地が「北海道」と命名され、厚田には戸長役場が置かれる |
| 1870年代~ | 本州各地から厚田への集団移住が進む |
| 1891年 | 記録的なニシンの大豊漁。後に厚田神社周辺に豊漁記念碑が残される |
| 2005年 | 厚田村が浜益村とともに石狩市と合併 |
| 2026年 | 厚田神社で砲弾4個が見つかる |
厚田神社が創立された1848年は、1869年に「北海道」と命名される21年前です。
つまり厚田神社は、まだこの地域が蝦夷地と呼ばれていた幕末に生まれた神社ということになります。
ただし「厚田の歴史」が1848年に始まったわけではない
ここで大切なのが、厚田神社の創立と、厚田という土地の歴史を分けて考えることです。
厚田神社が創立されたのは1848年ですが、この土地では、それよりはるか以前から人々が生活していました。
石狩市によると、厚田では約7000年前から人々が暮らしていたと考えられており、御所の沢や古潭などの遺跡から住居跡、石器、土器、矢じりなどが見つかっています。
また北海道では、近世以前からアイヌの人々が独自の文化と暮らしを営んできました。
江戸時代になると松前藩による「場所」の仕組みが形成され、和人が交易や漁業を通して厚田を訪れるようになります。
したがって、厚田の歴史を「和人が北海道を開拓して始まった」とだけ捉えるのではなく、それ以前から続く人々の営みがあり、その後、アイヌの人々と和人をめぐる歴史、漁場の形成、明治以降の移住と開拓へと時代が重なっていったと見ることが大切です。
「厚田」という地名にもアイヌ語に由来する説がある
「厚田」という地名そのものにも、この地域の古い歴史を感じさせる要素があります。
石狩市の資料では、厚田の語源について複数の説が紹介されており、その一つがアイヌ語に由来するという説です。
資料では、オヒョウの樹皮から繊維を採ることなどに関連するアイヌ語を起源とする説が紹介されています。
ただし、厚田という地名の語源については諸説があり、現在も一つに確定しているわけではありません。
それでも、現在使われている地名の中にも、この土地で長く営まれてきたアイヌ文化とのつながりをうかがうことができます。
江戸時代の厚田はニシン・サケ漁の重要な場所だった
では、厚田神社が創立された1848年ごろ、厚田はどのような場所だったのでしょうか。
石狩市によると、江戸時代の厚田は、和人にとってニシンやアキアジ(サケ)の季節的な出稼ぎ漁場でした。
厚田地域でのニシン漁は、松前藩によって厚田場所・マシケ場所が設けられた1706年ごろまでさかのぼるとされています。
特に興味深いのが、1840年以前の位置づけです。
石狩市の資料では、それまで厚田場所が西蝦夷地における和人の出稼ぎの北限だったとされています。
つまり1848年に厚田神社が創立されたころの厚田は、すでに日本海沿岸の漁業と深く結びついた場所だったことが分かります。
北前船もやってきた 押琴には天然の良港
厚田の海には漁船だけでなく、物資を運ぶ船もやってきました。
現在の押琴(おしこと)付近には、弁財船、いわゆる北前船が停泊できる天然の良港がありました。
石狩市によると、江戸時代末期には運上屋もあり、和人が定住してにぎわっていたとされています。
現在の静かな厚田の海岸からは想像しにくいかもしれませんが、幕末には漁業と海上交通によって人や物が行き交う場所になっていたのです。
その時代の1848年に厚田神社は創立されました。
明治になると本州から厚田への集団移住が進む
1869年、蝦夷地は「北海道」と命名されました。
厚田には同じ年に戸長役場が置かれ、石狩市ではこの1869年を厚田の「開村の年」と位置づけています。
その後、本州各地から集団移住が始まります。
石狩市の資料では、仙台、山形・庄内をはじめ、山口県、石川県、兵庫県、岩手県、青森県、新潟県などから人々が移り住み、厚田各地で集落形成や農地の開墾が進んだことが紹介されています。
ここで分かるのは、厚田神社の1848年創立は、本格的な明治期の集団移住よりも前だったということです。
厚田神社は、北海道の大規模な開拓・移住が進む以前の幕末からこの地域に存在していたことになります。
ニシン漁で栄えた厚田 1881年には人口1万2000人超
明治時代から昭和初期にかけて、厚田を大きく発展させたのがニシン漁でした。
石狩市によると、出稼ぎの漁師でにぎわった1881年には、厚田の人口は1万2000人を超えたとされています。
現在の厚田地区を知る人にとっては、驚く数字ではないでしょうか。
春のニシン漁の時期には多くの人々が集まり、海岸には漁場が並び、厚田の地域経済を支えていました。
しかし、ニシン漁はその後衰退し、石狩市の資料では1949年を最後に大きく衰え、それに伴って人口も減少していったとされています。
厚田神社には1891年の「豊漁記念碑」が残る
厚田神社とニシン漁の歴史を直接結びつけるものが、現在も神社周辺に残っています。
それが「豊漁記念碑」です。
石狩市の地域遺産資料によると、この碑は1891年(明治24年)の記録的なニシンの豊漁を記念したものです。
厚田神社が単に地域の高台に建つ神社なのではなく、海とともに生きてきた厚田の歴史を現在に伝える場所でもあることが分かります。
今回、砲弾が見つかったのは「豊作祈願祭」の準備中でした。
厚田神社の御祭神は保食神(うけもちのかみ)で、食物に関わる神として知られています。
農業と漁業。
時代によって地域の産業は変化していますが、厚田神社が長い間、地域の暮らしとともに歩んできたことがうかがえます。
現在の厚田にも幕末・明治の歴史が重なっている
2026年に砲弾4個が見つかったというニュースから厚田神社を調べていくと、その背景には170年以上にわたる神社の歴史がありました。
しかし、さらに時間をさかのぼれば、厚田では約7000年前から人々が暮らした痕跡が確認されています。
その後、アイヌの人々が暮らしてきた北海道の土地に和人による交易や漁業活動が広がり、江戸時代には厚田が重要な漁場となりました。
そして幕末の1848年に厚田神社が創立され、明治時代には本州各地からの移住が進み、ニシン漁によって地域が大きく発展していきます。
現在の厚田神社、厚田漁港、市街地を地図で眺めると、それぞれが別々に存在しているのではなく、海を中心に形成されてきた地域の歴史の上に現在の町があることが見えてきます。
厚田神社を訪れたら立ち寄りたい周辺スポット
厚田神社や厚田の歴史に興味を持って現地を訪れるなら、周辺にも立ち寄ってみたい場所があります。
厚田は日本海に沿って広がる地域で、海と夕日の景色、漁業の歴史、地域の食などを一緒に楽しむことができます。
北海道初の「恋人の聖地」厚田展望台
厚田神社の近くには、「恋人の聖地/厚田展望台」があります。
厚田展望台は、日本全国からプロポーズにふさわしい場所を選ぶ「恋人の聖地」プロジェクトで、2006年7月に北海道で初めて選出されたスポットです。
高台にある展望台からは日本海と雄大な海岸線を見渡すことができ、特に水平線へ沈んでいく夕日で知られています。
展望台には「誓いの鐘」や、恋人同士の結びつきを願って南京錠を取り付けるためのフェンスも設けられています。
道の駅石狩「あいろーど厚田」の場所
厚田の歴史や観光について知るなら、道の駅石狩「あいろーど厚田」にも立ち寄ってみたいところです。
日本海を望む展望スポットとしてだけでなく、館内には厚田の歴史や自然を紹介する資料室があります。
歴史・自然資料室では「北前船とニシン漁」をテーマにした展示があり、かつて厚田がニシン漁で栄えた時代について知ることができます。
この記事で紹介した「なぜ厚田が漁業で発展したのか」「北前船とどのような関係があったのか」を、現地でさらに知ることができる場所です。
また、道の駅の3階には日本海を見渡せる展望バルコニーがあり、晴れた日には石狩湾新港や手稲山、遠く積丹半島方面まで望むことができます。
厚田漁港と厚田港朝市
厚田の歴史を知ったあとに現在の漁港を見ると、また違った景色に見えるかもしれません。
厚田漁港では現在も漁業が行われており、春から初夏にはカレイやシャコ、その後はホタテ、ヒラメ、ウニ、アキアジなど、季節ごとにさまざまな海産物が水揚げされます。
厚田港朝市が開かれる時期には、新鮮な魚介類を求めて訪れる人も多く、ニシン漁で栄えた厚田の「海とともに暮らす町」という姿が、現在にも受け継がれています。
歴史を知ってから歩くと厚田の景色が変わって見える
厚田神社、厚田漁港、道の駅、そして厚田展望台。
現在はそれぞれ観光スポットとして訪れることができますが、厚田の歴史を知ってから地図を見ると、これらが日本海を中心に形成されてきた一つの地域であることが分かります。
砲弾発見のニュースをきっかけに厚田神社を知った人も、現地を訪れる機会があれば、神社だけでなく周辺の歴史や景色にも目を向けてみてはいかがでしょうか。
まとめ
今回は、砲弾4個が見つかった北海道石狩市の厚田神社をきっかけに、その場所と地域の歴史をたどりました。
厚田神社は1848年(嘉永元年)創立。
まだ北海道という名称がなかった幕末の蝦夷地に建てられた神社です。
一方で、厚田の歴史は1848年から始まったものではなく、この地域では約7000年前から人々が暮らした痕跡が確認されています。
江戸時代にはアイヌの人々が暮らす北海道で和人の漁業活動が広がり、厚田はニシンやサケ漁の重要な場所となりました。
明治以降は本州各地からの移住が進み、ニシン漁で大きく発展。その歴史を伝える1891年の豊漁記念碑は、現在も厚田神社周辺に残っています。
一つのニュースから地図を開いてみると、その場所が歩んできた長い時間まで見えてくることがあります。
厚田神社は、そんな現在のニュースと北海道・厚田の歴史が交差する場所といえそうです。









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