愛知県大会の大本命は享栄高校だった
1990年夏の甲子園よりも先の春の選抜甲子園。
イチロー選手の愛工大名電は、愛知県89年秋季地方大会のブロック大会予選で愛知高校に10-11で敗戦し東海大会出場を逃します。ここでイチロー選手新2年生としての春の選抜大会への出場は絶たれてしまいました。
愛知県大会を享栄高校が制し、東海大会も圧倒的な力で全戦コールド級の点差で優勝。
90年選抜甲子園大会では主砲でエースの高木浩之(西武入団)が大会3本塁打の大会タイ記録(※)をマークするなど、愛知県内において絶対的な存在となりました。
※2023年現在もトップタイ記録。他に清原和博(PL学園)、元木大介(上宮)、松井秀喜(星稜)、石川昂弥(東邦)など
90年春季愛知県大会も享栄高校が優勝。
第72回選手権(夏の甲子園)は享栄高校が大本命となりました。
愛工大名電は、準決勝でまたも愛知に1-3で敗戦。
甲子園出場にワンチャンスありかも、といった立ち位置で予選に臨む形となりました。
優勝候補の享栄高校 初戦で敗れる
イチロー選手の甲子園出場をかけた夏の予選が始まりました。
愛工大名電は、初戦を無難に突破。
しかし、なんと!愛知県大会優勝候補の大本命、享栄高校は初戦で敗退となります。
享栄高校初戦の相手は愛知県私学4強の一角、中京高校(現・中京大中)。
89年秋季大会で中京高校は、享栄高校、東邦高校、大成高校とともに愛知県ベスト4に入っています(決勝リーグ3位)。
中京はなぜか90年春季大会で上位進出ができずシードを取れなかった為、初戦で優勝候補の大本命と当たることになってしまいましたが、享栄高校を撃破!そのまま決勝まで勝ち進んで愛工大名電と対決するのです。
ちなみに、中京高校の3年生には稲葉篤紀(ヤクルト→日ハム)が所属していました。
朝日新聞社の甲子園出場校の戦力分析雑誌「’90甲子園」の巻頭カラーには享栄高校の高木浩之投手がトップで誌面を飾っています。
この雑誌は甲子園出場校のと特集なので享栄高校のチーム分析は掲載しておりません。結果として初戦敗退してしまったチームの選手が全ての高校球児を抑えて巻頭を飾りました。それぐらい高木選手が90年大会にとって素晴らしい選手だったということがわかります。
甲子園出場を逃した選手で他に巻頭に掲載した選手は、谷佳知(尽誠学園→オリックス・巨人)、鈴木尚典(横浜高校→横浜)、榎康弘(東海大甲府→ロッテ)、川村丈夫(厚木→横浜)、織田淳哉(日南→巨人)、寺前正雄(北陽→近鉄)など。
イチロー 1990年夏 地方大会の成績
大本命享栄高校や、天敵?愛知高校をはじめ私学4強の東邦高校や中京高校などがひしめく愛知県予選。
愛工大名電は未来の大野球選手・若きイチロー選手を擁していた強豪校。しかし強豪ひしめく愛知県代表を勝ち抜くことは至難の業と見られていたかもしれません。
さて、予選各試合のスコアはこのような結果となりました。
前項の通り、享栄高校が破れ、後述しますが愛知は中京が破りました。
東邦は大成高校に5回戦で勝利。
- 2回戦 11-1 半田工
- 3回戦 7-1 同朋
- 4回戦 8-1 豊橋商
- 5回戦 5-4 碧南
- 準々決勝 11-4 東浦(先発:2回1/3)
- 準決勝 7-1 大成
- 決勝 5-4 中京
さて、投手イチローについて。
準々決勝の東浦戦で先発しました。
幸先よく3点の援護をもらいましたが、3回に突如乱れたのか合計4四死球などを与えて2失点で降板。相手チームに逆転のきっかけを作ってしまったようです。その後の膠着状態を経て、7回裏の猛攻で一気にコールドゲームで準決勝進出となりました。
決勝は優勝候補の享栄高校を破った稲葉篤紀選手のいる中京高校。
中京高校は、準決勝で愛工大名電の天敵・愛知高校を準決勝で降しての決勝進出。
初回で2点を取り合い、中盤2点差をつけられるも追いつき、同点で迎えた8回裏に1点を奪ってそのまま5-4で勝利。甲子園出場を決めたのでした。
イチロー選手の予選通算成績は、29打数9安打(.310)6打点、盗塁5。三振はレギュラー選手唯一の0個。オリックス入りしてからもプロ野球連続無三振日本記録216打席を樹立しましたがその片鱗を垣間見ることができますね。
愛知県大会の振り返りと選手権の展望ではイチロー選手を大きく取り上げていません。
それだけ他のチームメイトの活躍も素晴らしく、その為勝ち取れた甲子園の切符だからです。
2年生ながら強打の愛工大名電打線の一角を担ったイチロー選手、野球王国愛知を制して晴れて甲子園に乗り込みこむことになりました。
甲子園での成績
ア愛知県勢100勝目をかけた愛工大名電初戦の相手は、結果的に優勝校となった天理高校でした。
89年秋季近畿大会準優勝で選抜にも出場。
天理高校の奈良県予選のチーム成績は、打率.303・打点22・盗塁0・本塁打0。
打力では愛工大名電有利でしたが、天理は後の日ハムドラフト1位の南竜次と1学年下の巨人ドラフト1位の谷口功一が後ろに控えるチーム史上近年稀にみる投手王国で臨んだ甲子園でした。
勝負の見どころは、まさに天理南投手vs愛工大名電打線といったところでした。
イチロー選手は初回に大会胴上げ投手の南投手から安打を放ちましたが、その後は沈黙。チーム16年ぶりの初戦敗退と同時に愛知県勢100勝目もお預けとなった試合となりました。
この動画では大会ナンバーワン南投手から三振を喫するも、ファウルとなったスイングはもちろん見逃し方も大物の風格が既に備わっているイチロー選手です。
既にスカウトが目を光らせていたのも納得です。
イチロー選手の甲子園での打撃成績は、4打数1安打(.025)1三振という結果でした。これが翌年は甲子園出場を逃してしまったイチロー選手にとって夏の選手権大会の全成績になります。そして春夏通じて唯一のヒットとなりました(後述「まとめ」参照)。
敗戦かつ目立った活躍が無かったせいか、こちらの雑誌の試合の総括ではイチロー選手についてはほとんど触れておりません。
※イチロー選手のスライディングではありません。
第72回大会 優勝校
イチロー選手要する愛工大名電を初戦で破った天理高校が87年に続き2回目の優勝を飾りました。
惜しくも準優勝となった名伯楽裁監督率いる沖縄水産高校は、翌年も決勝まで進むのでした(大阪桐蔭に敗れて準優勝)。
この年の注目選手
1年生の松井秀喜、渋谷高校(大阪)の中村紀洋など後のプロ野球レジェンド選手が出場していた72回大会。詳細は当ブログ下記記事の「注目選手」の項を参照下さい。
まとめ
イチロー選手唯一の出場となった夏の甲子園出場は、決して平坦な道のりではなかったことをお判りいただけたかと思います。
それ故、1回戦敗退となってしまった結果であっても神々しく思えてしまいます。
愛工大名電3年生となったイチロー選手は、春の選抜大会に出場するも準優勝校となった上田佳範(日ハム)擁する松商学園に初戦で敗退しました(5打数ノーヒット)。
翌年91年第73回夏の選手権大会は愛知県予選決勝で東邦高校に敗れた為、結果としてこの年が唯一の夏の大会出場となりました。しかし一度とは言え、私学4強を抱えた全国屈指の強豪愛知県を勝ち抜いた事は称賛に値します。
偉大な功績を残したイチロー選手が出場した第72回大会。
愛知県予選から甲子園本選迄振り返りました。
資料がある限り、また他の選手でも同様な振り返りを予定しています。
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