鈴木亮平、役者を目指してテレアポと飛び込みで自分を売り込み?苦労の下積み時代とは?

芸能人

有名かつ人気俳優・鈴木亮平さん。

様々な役柄をこなす傍ら、役に応じて体重を大きく変動させるなど常に役作りも大きな話題となります。

どのような過程を経たことでこのような役者さんが誕生したのでしょうか。

鈴木亮平さんの過去を紐解くと、意外な苦労時代努力、そして高い志が浮かび上がります。

そんなどのような苦労を経て今の地位をつかみ取ったのでしょうか。

https://twitter.com/kinsuma18_tbs/status/1650816927579635712
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鈴木亮平が役者を目指したきっかけ

役者志望を意識したのは中学時代。

大学入学時には役者志望の意志が固く、役者になる近道としてまずは場所として東京に、そして学校は東京外国語大学(国立)を選びました。

東京外国語大学(国立)を選んだ理由
・留学経験があり英語が好きだった
・受験で理数系課目が少ない
・俳優稼業での稼ぎの苦労を見越して

大学では早速演劇サークルに所属。

その初公演で観客の反響に大きな手応えと遣り甲斐を感じたことで一生を役者に捧げると決意したのでした。

東京外語大は西武多摩川線の多摩駅からすぐ近く。私は飛田給駅の近隣に住んでいたことがありますが、恥ずかしながら東京外語大がこんなに近くにあるなんて知りませんでした。

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さて、鈴木亮平さんの大学生活時は演劇メインとなり単位の取得は容易でなかったようです。

演劇の準備に実施には多大な時間と時にはお金を要しますよね。学業に支障が出ることは容易に想像がつきますよね。

そして東京外語大がある場所から程なく近い調布に住んでいたという鈴木亮平さんは、調布にある日活撮影所の近くまで足を運んでいます。

また、俳優さんに会える可能性が高いという事で、撮影所の近隣のバーでアルバイトをしていたそうです。

日活撮影所近くの京王多摩川駅には「石原プロモーション」もありました。石原プロの近くも通っているかもしれませんね。

鈴木亮平、テレアポと飛び込みで自分を売り込み

演劇漬けの大学3年次には、将来目指す俳優業の成否を危惧し自らを「本職」に売り込むことを決意。

周りの友人が就職活動に手を染めていく中、自らの俳優としての将来についての見極めと覚悟があってのことでしょう。

鈴木亮平さんはプロフィールを片手に製作会社芸能プロダクションに自らを売り込みまくりました。その数、50社とも100社とも言われています。

突然アポなしで事務所に飛び込むこともあれば、予め電話でアポイント(テレアポ)を取ったり。

電話をして「すぐ事務所のすぐ外にいるので売り込みの時間をほしい」と言う荒業も駆使したそうです。これは時々会うだけであれば効果があったようです。

しかし結局これらの活動では売り込みの結果は芳しくなく、キャスティング会社も回り始めたところでモデル会社の紹介を受けモデル活動も経験しています。

4年制大学の3年と言えば、サークルにしても大学に所属する直轄の運動部にしても幹部や運営の中心となる学年ですよね。

所属の演劇サークルでは定例公演や学際など、鈴木さんも3年生としてサークル運営に時間を取られる時期。

そんな時期にテレアポや飛び込みに勤しむ鈴木さんの行動力は、俳優業への並々ならぬ覚悟と執念を感じてしまいます。

けんもほろろであしらった対応をした複数の事務所関係者とは、役者として成功した後も顔を合わせることがあるようです。

その都度内心様々な思いを抱きつつ、大人の対応する鈴木亮平さんは流石ですね。

売り込みを断った事務所関係者に批判が行きがちですが、こういう売り込みは日常的にあったのでしょうし、いちいち応対していたらキリがないのかもしれません。。

なので無名の方から売り込みがあった時に冷たいあしらいをしてしまうという事も理解できないわけではありません。

とは言え、売り込みを断るにしても断り方を考えなければなりません。

売り込まれた側がいかなる状況だとしても。断り方や相手から不快に思われないあしらい方って大事だと思うんです。

鈴木亮平さんのように将来BIGになるケースもありますし、そうでなかったとしても売り込みに来た鈴木青年はそのプロダクションにとって間接的なお客様だったかもしれないのです。

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鈴木亮平、苦労した下積み時代

大学卒業後は演技学校に通って演技を学ぶ傍ら、業界初、男性水着のキャンペーンボーイに選出されました。

https://twitter.com/annedertow/status/833642677774094336

鈴木亮平さんはウォータボーイズのシリーズが続いていれば出演してほしかったぐらいの美ボディの持ち主!キャンペーンボーイ選出も頷けます。

役者として数々のオーディションを受けて落ちまくることも経験。

モデル時代は見た目が原因で秒殺で不合格になったことも多々あったようです。しかし役者のオークションは演技を見て合否を決めてくれるので継続して頑張ることに繋がったそうです。

27歳までビールの売り子などのバイトをしたいたそうです。

鈴木亮平さんは1983年生まれなので、27歳と言うと2010年。テレビドラマデビューが2005~2006年、映画デビューが2007年でそれから2010年までの間に様々な作品に名前を連ねていますが俳優稼業として安泰ではない時期が長かったのですね。

結婚は2011年、一世を風靡?した「変態仮面」出演は2013年です。

鈴木亮平の売り込みと下積みのまとめ

現在の鈴木亮平さんの活躍ぶりからは想像できない、売り込みと下積みの歴史があったのですね。

  • 大学3年、自ら売り込み
  • 50~100社
  • 制作会社、芸能プロダクション、キャスティング会社
  • モデル活動も経験
  • 業界初の水着キャンペーンボーイ
  • オークション受けまくり
  • 27愛までビール売り子

アマチュア時代から役者を目指し、覚悟を決めた人の行動力はただただ尊敬に値します。

日本を代表する鈴木亮平さんの益々の活躍から目が離せないですね。

 

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