「この記事は平成元年(1989年)に『週刊ベースボール12月11日号』が企画した特集『1988年ドラフト1位はいま』の一つです。当時の評価を伝える一次資料として紹介します。」
現在はメジャーリーグ中継などで解説者として活躍する今中慎二さん。
現役時代は中日ドラゴンズのエースとして沢村賞を受賞し、「球界屈指の左腕」と呼ばれる存在になりました。
しかし、そんな今中投手にも「ブレイク前夜」がありました。
今回紹介するのは、1989年オフに『週刊ベースボール』が掲載した「1988年ドラフト1位特集」の記事です。
その中で今中投手に付けられた見出しは、
「今中慎二は来年、阿波野になる!?」
でした。
当時、この見出しにはどのような意味があったのでしょうか。
そして、その期待は実際に現実となったのでしょうか。
当時の記事をもとに振り返ってみます。
「来年、阿波野になる!?」と評価された今中慎二
1989年の『週刊ベースボール』では、1988年ドラフト1位選手を特集。その中で今中慎二投手には、「今中慎二は来年、阿波野になる!?」という見出しが付けられていました。
当時の阿波野秀幸投手は、球界を代表する若手左腕でした。その名前を見出しに使うということは、編集部が今中投手を「将来のエース候補」と見ていたことがうかがえます。
1989年当時、「阿波野になる!?」は最高級の期待だった
現在の野球ファンの中には、「阿波野になる!?」という見出しだけでは、その意味が伝わりにくい方もいるかもしれません。
現在の阿波野秀幸さんは指導者や野球解説者として活躍しており、現役時代を知らない野球ファンも増えました。
しかし当時の阿波野秀幸投手は、近鉄バファローズで新人王や最多勝を獲得し、球界を代表する若手左腕として大きな注目を集めていたスーパースターでした。
つまり、『週刊ベースボール』は、今中慎二投手を「将来は球界を代表する左腕になれる素材」と評価していたことになります。
これは決して軽い期待ではなく、当時としては非常に高い評価だったと言えるでしょう。
記事では、その期待を裏付けるように、新球シンカー習得への取り組みやフォーム改良についても詳しく紹介されていました。
新球シンカーへの挑戦はブレイクへの布石だったのか
記事の中で特に興味深かったのが、新球シンカー習得への挑戦です。
記事では、今中投手が新球シンカーの習得に取り組み、その過程で阿波野秀幸投手から助言を受けていたことも紹介されています。
さらに、阿波野秀幸投手からシンカーについて助言を受けていたことも紹介されています。
その後の今中投手を振り返ると、代名詞となったのは切れ味鋭いストレートと大きく曲がるスローカーブであり、シンカーが決め球として語られることは多くありません。
しかし、だからといってこの挑戦が無意味だったとは言えないでしょう。
新しい球種を習得する過程では、握り方やリリース、指先の感覚などを繰り返し研究します。
その経験が、今中投手本来の持ち味であるストレートやスローカーブの完成度を高める一助になった可能性も考えられます。
もちろん、それを断定することはできません。
ただ、「完成された今中慎二」ではなく、「試行錯誤を続ける今中慎二」の姿がこの記事には記録されています。
『週刊ベースボール』記事の期待は現実となった
当時の記事では、「来年、阿波野になる!?」という期待が語られていました。
翌1990年、今中投手は一軍で存在感を示し始め、その後は中日ドラゴンズのエースへと成長していきます。
1993年には沢村賞を受賞し、球界を代表する左腕として黄金期を迎えました。
こうして振り返ると、『週刊ベースボール』が掲げた「来年、阿波野になる!?」という期待は、決して大げさなものではなかったことが分かります。
実際には阿波野投手とは異なるタイプの左腕として独自の道を歩みましたが、”球界を代表する左腕になる”という予想は見事に的中したと言えるでしょう。
まとめ
当時の記事を読むと、今中慎二投手はすでに完成された投手ではなく、新球習得やフォーム改良に取り組む発展途上の若手投手でした。
その努力や挑戦を知った上で、その後の活躍を振り返ると、「レジェンド」はある日突然生まれたのではなく、地道な積み重ねの先に誕生したことがよく分かります。
今回の記事は、そんな”レジェンド誕生前夜”を伝えてくれる貴重な記録でした。
レジェンド誕生前夜
本シリーズでは、当時の野球雑誌などの一次資料をもとに、名選手たちが飛躍する前夜の姿を振り返ります。

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