鈴木その子さんのイメージと言えば「美白の女王」と言われたほど白い肌が特徴で、少しそこを過剰に揶揄されていた感じのある人。
美白の女王としてメディアに露出してからお亡くなりなるまでの期間はわずか2年間ほど。
「え!亡くなってしまったの?」と、世間をザワつかせたのです。
それだけメディアに引っ張りだこで有名人だったその子さん。
メディア全盛期のその子さんを見ていた人のほとんどは、その子さんがメークアップアーティストであったりコスメブランドに特化したメーカーの社長と認識していたのです。
ぞの子さんの本当の顔は独自の食事法を提唱した料理研究家です。
更に言いますと元々は専業主婦であり、その後は普通の飲食店経営者でした。
鈴木その子さんが料理研究家に転じたきっかけとなった愛息の死の原因は何だったのでしょうか。
また、鈴木その子さんというカリスマ創業者を失った会社は迷走したかのように見えました。
株式会社ソノコはどのような状況に陥ったのでしょうか。
鈴木その子さん、愛息の死因は拒食症
鈴木その子さんが44歳、1976年(昭和51年)の時にに襲った悲劇。
20歳の息子さんを急に亡くしてしまったのです。
息子さんの死因は転落死。
マンションの5階ベランダから下にいる友人に「さようなら」と手を振った瞬間に、運悪く貧血を起こしてしまったのです。
ベランダから身を乗り出していた息子さんは貧血による脱力で体を支えることが出来ませんでした。
不慮の事故、息子さん本人も無念だったことでしょう。
貧血の原因となったのは拒食症。
拒食症の原因となったのは、息子さんが実践していた誤ったダイエット方法と言われています。
決して太っていたわけではないのに、「細めのジーンズがはきたい」という理由で始めた間違ったダイエットがきっかけで、拒食症になってしまいました。
「鈴木その子の幸せをつくる生き方」
その子さんは最愛の息子を亡くしてしまい、悩み苦しみ、自らの命も絶とうと考えたほどでした。
しかし、残された夫や娘さんを思うことで思いとどまりました。
そして、拒食症で悩む人達やそれをサポートしている親御さん達などを救いたいと考えました。
これまで通常のスタイルだった飲食店の運営方針を変え、ダイエットや健康に良い食材の調達や調理方法によるメニューを新たに考案し提供することにしました。
後の鈴木式のダイエットにつながり、多くの人が美しく健康的なダイエットの成功に導かれました。
1980(昭和55)年、その成果に確信を持ったその子さんは独自理論とノウハウをまとめた著書『やせたい人は食べなさい』を発行。またたくまにベストセラーとなりました。
拒食症で亡くなった有名人
拒食症という病気を世間に認知させるきっかけとなったのは、カーペンターズのカレン・カーペンターの死です。
海外のセレブや日本の有名人でも拒食症(摂食障害)に悩む人は多数います。
なおWikipediaで拒食症を調べますと、カレン・カーペンターと同列で鈴木その子さんの息子さんもこのように同列で加筆されています。
カーペンターズのカレン・カーペンターが、拒食症から心臓発作を起こして死亡した際、日本やアメリカ合衆国で大きな話題を呼び、注目される疾患となった。なお、鈴木その子の息子も、同様の病気で死亡している。
wikipedia 拒食症
拒食症による栄養失調がもたらした貧血は、ほんの一例にすぎない程に拒食症の進行は恐ろしいものです。
健康を損なう前にダイエットなんて止めたらいい、と簡単にはいかないのが拒食症(摂食障害)。
体と心を壊してしまうダイエット方法からの脱却がいかに難しく困難であるかをしっかり理解してからダイエットに取り組みたいですね。
鈴木その子さん ご子息の肖像画
亡くなったご子息の肖像画が販売されていた時期があったそうです(5ちゃんねるより)。
とても美しい青年です。描かれ方も生き生きしていてとても美しいです。
鈴木その子さん死没後の株式会社ソノコはどうなった?
自ら理想とするコスメ開発に着手し、世に送り出し美容の分野でも成功を収めたその子さんですが
1999年3月に68歳で永遠の眠りについてしまいました。
メソッドの開発者でありカリスマ創業者を失った後も多くの顧客の多くは、その子さんのマインドを受け継いだお弟子さんや従業員さんから離れることなく継続して鈴木その子ブランドを愛用しました。
しかしそうした顧客の思いとは裏腹に、鈴木式メソッドの後継者と言われるお弟子さんや古参の社員の流出が続いたようです。
また、社長も現在に至るまで7~8回後退しており、その都度取扱商品の入れ替えや見直し、使用原料の変更などがあり継続会員の間では戸惑いが広がっていたようです。
「5ちゃんねる」では会員さんのこれらの様々な嘆きが散見されました。
鈴木その子さんの長女まゆみ氏が一時期社長に就任しいつの間にか交代していたという情報がありましたが、定かではありません。
2013年の玄氏は在任1か月とかなりの短期間ですが、登記されていたとのことです。
野辺氏在任中の2011年には、女子プロサッカーリーグの強豪「日テレ・ベレーザ」の冠スポンサーに10社競合の中からその座を射止めています。
「5ちゃんねる」によると野辺氏は先々代の社長の山中氏が「金に物を言わせて送り込んだ」社長と書き込まれていました。
しかし山中氏が投資会社への身売りを主導したというところではないでしょうか。
同じく5ちゃんねるの会員同士の会話によると、鈴木康彦氏自身が「私はつなぎの社長」と語っていたという書き込みがありました。
会社身売り交渉期間のみという条件で鈴木氏も受諾したのかもしれません。
野辺社長時代は背後の玉塚会長と言うビッグネームが実質的なトップですね。
就任 | 退任 | 社長氏名 | 備考 |
鈴木その子氏 | 創業者 | ||
??? | ??? | 鈴木まゆみ氏? | 創業者の長女 一時社長に? |
??? | 2006年3月 | 山中つよし氏 | 創業者の甥 |
2006年4月 | 2007年3月 | 鈴木康彦氏 | 血縁関係無し、会員の息子? |
2007年4月 | 2013年9月 | 野辺一也氏 | 会長に玉塚元一氏就任 (ユニクロやローソンで社長) |
2013年10月 | 2013年10月 | 玄 奉仁氏 | ??? |
2013年11月 | 2018年3月 | 権藤嘉江子氏 | 元プロ野球選手・監督 権藤博氏の娘 |
2018年4月 | 2019年 | 出口知史氏 | プロ経営者 |
2019年 | 現職 | 宇田川裕昭氏 | 現職 トリドールから |
2016年に丸亀製麺運営の株式会社トリドールが30億円で株式会社ソノコの株式で取得しました。
株式を譲渡したのは投資会社の「マーキュリア」です。
マーキュリア以外の会社もソノコの株を取得して経営権を握っていた時期があったかもしれません。
しかしそれに関しては情報が見つかりませんでした。
野辺社長を送り込んだのがマーキュリアかもしれませんが・・・。
現社長の宇田川裕昭氏は、インタビューにおいて株主交代の都度社長も交代してきたと述べています。
M&Aなどの世界ではよくあることですね。
「5ちゃんねる」の会員さん同士の会話は生々しいです。
現社長の宇田川氏の経歴に触れてみましょう。
宇田川氏は、イオンなどを経てトリドールに入社。
トリドールで経営企画室のシニアディレクターを経て2018年にソノコの取締役に就任しました。
恐らくトリドールでは将来を期待された人材だったのでしょう。
経営権を持つ親会社からソノコ立て直しのミッションを託され送り込まれたのだと思います。
宇田川氏は2019年には代表取締役に就任しました。
トリドールとの業務上の連携強化をますます強めるかと思われましたが、なんとソノコ経営陣は2021年にソノコの株式をトリドールから買い戻してトリドールの子会社から離脱しています。
いわゆるMBO(マネジメントバイアウト)を実行した形です。
MBOに加わった経営陣の中に創業者一族(長女鈴木まゆみ氏)がいるのかどうかはこちらも定かではありません。登記簿を見なければなりませんね。
いずれにしましても、これまでの株主からの呪縛や方針から解き放たれて、ソノコ独自の理想の顧客満足と利益を追求できる体制を手に入れたという事になりますね。
親会社出身の社長でありながら親会社から離れる選択をした宇田川氏。
ソノコの経営に携わる中で、その子ブランドに愛着を強めて同時にもお客様の気持ちにも思いを馳せての行動だったのでしょう。
宇田川氏の気概を称えて今後の手腕にますます期待ですね。
原点回帰?で業績回復の宇田川社長
原点回帰の方策で業績回復の手腕を見せている宇田川氏。
その方策の1つが書籍の復刻ではないでしょうか。
1980年当時の内容のものを現代の令和版にアップグレードし、40年ぶりに「やせたい人は食べなさい」を40年ぶりに復刻し販売。
2000年に鈴木その子が亡くなってすでに20年以上が経ちましたが、いまだに間違った食事法や健康に危害を及ぼしかねないダイエット法が世の中にはびこっています。本書ではそうした昨今、注目を集めている食事理論に言及したうえで、現代のライフサイクルのなかでどういった食生活を取り入れると、健康的にやせることができるかを解説しました。
「鈴木その子式やせたい人は食べなさい。」の「はじめに」から
また、1980年版の内容を、閲覧またはダウンロードが無償でできます。
公式サイトが提供しているものです。
こちらも嬉しいサービスですね。
新たな会員の発掘に一役買うのではないでしょうか。
鈴木その子さん愛息の死因とその子さん没後の会社のその後のまとめ
鈴木その子さんの息子さんの死因は拒食症が引き起こした貧血によるベランダからの転落死でした。
食の大切さを心がけていたその子さんにとって大変悔やまれたに違いありません。
また、その子さんが創業した会社はその子さん没後も継続しておりましたが、経営や商品の方針が迷走し顧客離れと売上低下を招きました。
会員の中には鈴木式メソッドの終焉を予期した書き込みが多数見られまあしたが、現社長の宇田川氏の奮闘により持ち直しが見られます。
その子さんの素晴らしいメソッドを再現し世の中に発信し続け、顧客と共存共栄できる企業体で有り続けてほしいと願っております。
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