南野陽子さんが「推しといつまでも」で熱狂的なファンからの接待を受けますね。
どんなファンの方かと言いますと、接待をするファンの方は33歳ということでとても若い方。1990年生まれでのファンの方は南野陽子さんがデビューした1985年より後に生まれています。
ファンの方が生まれる前の南野陽子さんがデビューしてアイドルとして活躍した1980年代後半はアイドル百花繚乱の華やかな時代。
1980年代後半のアイドルは?と聞かれてたくさんのアイドル名が頭に浮かぶと思います。では南野陽子さんの歌手デビュー同期は?と聞かれてハッキリと答えることは難しいかもしれません。
それだけたくさんのアイドルがいたのですから。
南野陽子さんのアイドル同期とアイドル四天王についてまとめました。
南野陽子さんの同期
1985年歌手デビューの南野陽子さんの同期の歌手(アイドル)は下記の方々です。
中山美穂
網浜直子
森口博子
藤井一子
芳本美代子
浅香唯
オニャン子クラブ
本田美奈子 など
松本典子さんは、群馬県のとある高校野球のマネージャーというプロフィールが印象的な人。網浜直子さんは、中山美穂さんと「夏・体験物語(1985年)」に出演していた印象。藤井一子さんは「夏・体験物語」の続編に出演し主題歌「チェックポイント」の印象大。
【チェックポイント】「夏・体験物語2」の主題歌。いい意味で中毒性があり耳に残るサウンドです。
チェック・ポイント
藤井一子 pic.twitter.com/4i2mkzjHi9— 時代屋 (@lr29451) April 20, 2023
中山美穂さん、森口博子さん、本田美奈子さんは言わずもがな、芸能界のビッグネームですね。
【殺意のバカンス】本田美奈子さんはデビュー曲のキャンペーンで各都市を周っていました。とある都市の丸井の屋上でデビュー間もない初々しい本田美奈子さんがデビュー曲「殺意のバカンス」を歌っていたのが瞼に焼き付いてたままです。
歌手やアイドルというくくりでなければ、南野陽子さんの同期には現在大御所クラスがたくさんいます。
アイドル四天王
南野陽子さんを含むアイドル四天王の定義は、南野陽子、中山美穂(-1)、浅香唯(-1)、工藤静香(-2)となっています。※()内は南野陽子との学年の違いです。
出す曲ほとんどが「ザ・ベストテン」や「トップテン」にランクインしていましたよね。そのぐらい多くのファンがついていた方々です。ファンでなくても曲そのものが好きでCDを買ったりレンタルしている人が多かったのです。
【C-girl】浅香唯さんの武器は美しさに加えて抜群の歌唱力。
80年代後半は王者的な絶対的なアイドルがいたという訳ではなく、実力伯仲の多数のアイドルによるまさにアイドル戦国時代・群雄割拠の時代だったと考えられます。
そういう背景ゆえにアイドル四天王という概念が成立したと思われます。
しかしアイドル四天王という言葉は、世の中に定着してたのでしょうか。
南野陽子さん自身も語っているように「アイドル四天王という概念は後年作られたのかも」はあながち間違っていると思えません。本人も存じ上げなかったようですし、私ごとき一小市民も聞いたことが無かったです。私自身に情報が無かっただけかもしれませんが・・・。
『アイドル四天王』の名称はいつから使われたかは定まらないものの、南野本人がその名称を知ったのはデビュー20週年の頃であり、後世になってから生まれたものであろうと自身のラジオ番組内で発言している。
引用:Wikipedia
もし私が四天王に投票するなら、「菊池桃子」「斉藤由貴」「南野陽子」を推します。あと一人は悩みます・・・。
十人十色のアイドル四天王が林立するぐらい数多くの人気アイドルがいて、その中でも南野陽子さんは間違いなくトップクラスのアイドルでした。
まとめ
南野陽子さんの同期と四天王についてまとめてみました。
そして偶然にも本日はデビューアルバム発売記念日なのですね!
アルバム「ジェラート」の中のタイトル曲「ジェラート」いい曲です。
コメント