NHK朝の連続ドラマ小説「ブギウギ」に出演するキヨ役の三谷昌登さんは京都市東山区出身です。
花街出身の三谷さんは、高校は同志社高校に通っていましたが、小学校は地元東山区の花街付近ではないかとも言われています。
しかし1977年生まれの三谷昌登さんが現役の頃の区内の小学校は全て1~2の学校に併合されてしまいました。
三谷昌登さんの母校もしくは地域に存在していた小学校は現在京都市立開睛小中学校に併合されたと思われます。
京都市東山区で統廃合された小学校に急に関心を持ちまして、まとめるに至りました。
京都市立開睛小中学校(京都市東山区) とは?
京都市立開睛小中学校は、2011年に小学校5校と中学校2校の合計7校を併合して小中一貫校としてスタートしました。2018年には小中一貫校から義務教育学校に移行しました。
小中一貫校は、小1~小6/中1~中3 と従来通りの学年の呼称ですが、義務教育学校は1年生~9年生という学年の呼称となります。
また小中一貫校の教員は小学校の教員免許か中学校の教員免許がいずれかあればよかったのですが、義務教育学校の教員は1人の教員が小学校中学校両方の教員免許を取得していなければなりません。
東山区には通常みられるような公立の小学校や中学校という単独の学校期間が存在せず、京都市立開睛小中学校と東山泉小中学校の義務教育学校2校が存在するのみです。
※義務教育学校について触れる記事ではないのでここまでにしておきます。
義務教育学校2校のみの京都市東山区の人口と人口密度
まずは京都市全体の行政区の面積を見てみましょう。
京都市の中心市街地を構成しているのは、上京区・中京区・下京区・東山区の4区です。
現在の4区それほど面積に差は内容に見えますね。
次に人口を見てみます。
4区は面積に大差はないですが、東山区の人口が他区に比べて少ないことがわかります。
商業地域に加えて神社仏閣や公園などの土地、また開発不可な山地や森林地が多いために居住者が少ないのだと思われます。
区名 | 人口(人) | 面積(km2) | 人口密度(人/km2) |
上京区 | 83,704 | 7.03 | 11,906.69 |
下京区 | 83,183 | 6.78 | 12,268.88 |
左京区 | 164,506 | 246.77 | 666.64 |
中京区 | 110,260 | 7.41 | 14,879.89 |
東山区 | 35,573 | 7.48 | 4,755.75 |
右京区 | 199,586 | 292.07 | 683.35 |
伏見区 | 272,807 | 61.66 | 4,424.38 |
北区 | 115,521 | 94.88 | 1,217.55 |
南区 | 102,056 | 15.81 | 6,455.15 |
山科区 | 131,870 | 28.7 | 4,594.77 |
西京区 | 145,284 | 59.24 | 2,452.46 |
※Wikipedia(2023年京都市人口)
東山区の居住者地域が少ないのは昔からそれほど変わらなくても人口も児童数は今よりもかなり多かったようです。(1975年7万人)
さすがにこの人口減では学校の統廃合は避けられないですね。
とは言え、人口4万人弱で小中学校2校のみというのは東山区ならではの特殊事情であり興味深い事実です。
京都市立開睛小中学校が併合した小学校の位置関係
統廃合した各小学校の位置関係(京都市立開睛小中学校案件のみ)
ここからが当記事の本題となります。
京都市の中心市街地を構成かつ重要な観光拠点の1つである東山区。
東山区の人口減など複合的な理由で区内に多数存在した歴史のある小学校がごっそり1つの学校に併合しました。各小学校の位置関係を地図にまとめしました。
京都市立 開睛 小中学校 (2011~) |
← | ① | 白川小学校 (2004~) |
← | ⑥ | 粟田小学校 (1869~) |
⑦ | 有済小学校 (1869~) |
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② | 清水小学校 (1869~) |
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③ | 新道小学校 (1869~) |
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④ | 六原小学校 (1869~) |
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⑤ | 東山小学校 (2002~) |
← | ⑧ | 修道小学校 (1869~) |
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⑨ | 貞教小学校 (1869~) |
※小学校のみ
表の説明
☆マークが京都市立開睛小中学校です。
赤い字の①~⑤の小学校は、京都市立開睛小中学校併合時の小学校5校です。
5校のうち2校は、更に過去に小学校を統合した経緯があります。
青い時の⑥⑦は、開睛小中学校に併合された白川小学校が統合誕生した際に統合した2校です。
(粟田小学校敷地が2校統合後、白川小学校敷地となりました)
同じく青い字の⑧⑨は、開睛小中学校に併合された東山小学校が統合誕生した際に統合した2校です。
(修道小学校敷地が2校統合後、東山小学校敷地となりました)
貞教小学校敷地に一橋小学校が入る
2002年に修道小学校と統合した貞教小学校は東山小学校となりました。
新設の東山小学校は修道小学校の敷地を利用しました。
旧貞教小学校の敷地に、2011年から2014年まで同じ東山区の一橋(いっきょう)小学校が入り一橋小学校となりました。
一橋小学校の敷地が2014年スタートとなる義務教育学校 東山泉小中学校の敷地に生まれ変わる為の工事が2011年から開始することになりました。
一橋小学校も東山泉小中学校に併合される学校の1校です。
空いた学校施設に既存の学校が引っ越すという極めて珍しいケースとなります。
京都市立開睛小中学校 併合した小学校は全て明治2年(1869年)開校
開睛小中学校を構成している小学校(粟田・有済・清水・新道・六原・修道・貞教)は、明治維新直後の明治2年に京都市に創設された64の小学校のうちの7校です。
京都市内のには自治会「町組」が多数組織されていました。
それら町組が複数集まり「番組」という組織に再編。
(27程度の町組を1番組)
番組は旧上京・旧下京 合わせて66ありました。
番組という組織ごとに設置されたのが「番組小学校」です。
粟田・有済・清水・新道・六原・修道・貞教の各小学校は、それぞれの番組に設置された歴史ある番組小学校です。
番組小学校が、明治5年(1872年)に制定された学校制度による学区制学校よりも古い、初の学区制の学校です。
京都市立開睛小中学校 併合した小学校の今と昔
粟田・有済・清水・新道・六原・修道・貞教の各番組小学校は開睛小中学校に併合されました。
これらの学校の今昔をまとめています。
多くは再開発され宿泊施設などになり、観光都市京都の観光客の滞在先として注目をされています。
詳細については後日加筆します。
かつて存在した東山区の小学校の行方のまとめ
NHK朝の連続ドラマ小説「ブギウギ」出演の東山区出身の三谷昌登さんの生い立ちを調べているうちに、東山区にかつて存在していた多くの小学校に惹かれてしまい調べてしまいました。
京都は歴史の舞台でもあり、数多くの神社仏閣もあり、特に東山区の歴史遺産や観光資源が数多く集中しています。
東山区の小学校の統廃合は近世から現代に至るまでの京都史に欠かせないテーマの1つではないか・・・・ということに気付きました。
鉄道の廃線巡りのように京都の廃番組小学校巡りもいいのかもしれませんね。
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