東京都品川区の小山八幡神社が再生プロジェクトを発表しました。
氏子や周辺の住民は反発しています。
計画発表が寝耳の水だった近隣住民は見直しを求めて署名活動を展開しています。
このような神社再生プロジェクトを実行に移している神社が既にいくつかあります。
これらの神社は実行前と実行後でどのように変わったのでしょうか。
再生プロジェクト神社のビフォーアフター(今昔)をまとめました。
小山八幡神社のプロジェクトが進行すれば、神社の姿はこのような姿に変わるかもという、
小山八幡神社の未来の姿の空想にほんの少しでも参考になりましたら幸いです。
小山八幡神社の再生プロジェクト
小山八幡神社の再生プロジェクトを遂行するのは東急不動産。
築85年が経過した社殿の改修費用2億3000万円を賄うための事業計画です。
神社の杜は近隣住民の方々にとってまさに「憩い」の場ですね。
より俯瞰した画像を見るとその思いがより一層強くなります。
いくら神社が存続するとは言え、その為にこの杜の表情が変わってしまうことは地域の方には黙っていられない事でしょう。
予定通りの建物配置が実行されたとしたら先ほどの小山八幡神社の杜は大きく失われてしまうでしょう。
また現在憩いの場として馴染みのある神社としての用地はほとんどマンションに変わるでしょう。
少しの樹木は残るでしょうが、緑はそれほど多く見られないと思います。
計画しているマンションは神社の杜に寄り添っている雰囲気を作るでしょうから、神社全体としては外身の大きさは変わらないでしょうけれども。
さて、次からが当記事の本題です。
赤城神社(神楽坂/パークコート神楽坂)の今昔(ビフォーアフター)
パークコート神楽坂は神楽坂上にある地下鉄東西線神楽坂駅近くに立地しています。
赤城神社は1300年頃の創建です。
社殿建て替えと隣接したいた保育園閉園に伴う跡地の再開発費用を賄うためのプロジェクトとして建てられたマンションです。
定期借地権付きの期間は70年間です。
その後は更地にして鎮守の杜を再興するとのことです。
2010年8月完成で杜再興まで57年です。
開発前後で緑の量が違いますね。
開発後も残る参道脇の民家が開発前の赤城神社を少しだけ偲ばせてくれます。
銀杏の木もそうなのでしょう。
実際に足を運ぶと緑もあって癒される箇所もあり神社を感じますが、建造物!という感じは否めないですね。
パークコート神楽坂にはカフェが併設されており、参拝だけではなく食事目的の為に神社を訪れる方も多数います。【あかぎカフェ】
成子天神社(成子坂/パークタワー西新宿エムズポート)の今昔(ビフォーアフター)
パークタワー西新宿エムズポートは、成子天神社再整備プロジェクト」の骨子の1つとして建設された分譲マンション。
1100年以上の歴史を持つ成子天神社の建て替えと賃貸マンション建設と富士塚の整備と併せて進行されました。
赤城神社のパークコート神楽坂で神社再生プロジェクトのノウハウを持つ三井不動産レジデンシャルルの事業です。
定期借地権の期限は70年間(~2084年11月)です。
富士山の溶岩で作られた富士塚は引き続き敷地内に整備されました。
プロジェクト始動前。近隣(左側)ではすでに大型開発が始まっていますね。
マンション建設とともに社殿の建て替えの様子もわかりますね。
現在の成子天神社敷地全景
下鴨神社(京都/J.GRAN THE HONOR 下鴨糺の杜)の今昔(ビフォーアフター)
世界遺産下鴨神社の境内『糺の森』の南側の高級マンションです。
定期借地権付きの期間は50年間です。
式年遷宮(一定期間で社殿を造り替える事)の費用30億円を賄うにあたり、国からの補助金8億円を差し引いた22億円が不足していました。
京都市は財源が厳しく補助が出来ない為、企業や個人の寄付に委ねましたが集まったのは半分でした。そこでこのような方式でのマンション建築計画に至りました。
周辺住民の建設差し止めを求めた裁判は住民側の敗訴になった経緯があります。
(下鴨神社の社殿造り替えや原生林維持の為に合計11億円もの貴重なお金を寄付をしてくれた企業や個人の方々に感謝ですね。そのおかげで私も参拝出来ました。)
プロジェクト始動前の下鴨神社
J.GRAN THE HONOR 下鴨糺の杜も含めた現在の下鴨神社全景。
東郷神社(原宿/パークコート神宮前)の今昔(ビフォーアフター) ?
東郷神社に隣接するパークコート神宮前は、50年間の定期借地権付きのマンションです。
50年間の期限は2061年です。
東郷神社に隣接している為、このマンションも神社が必要としている費用捻出のための建設?と思われてしまいそうですが、実はそうではありません。
東郷神社一帯の土地2万坪は、元々岡山の大名池田氏の持ち物でした。
そのうち1万2000坪は神社用地として東郷平八郎の財団に譲渡されました。
残りの土地約8,000坪の中にパークコート神宮前の他、原宿警察署の新庁舎などがあります。
これらは「神宮前一丁目民活再生プロジェクト」の一環として建てられたもの。
つまりパークコート神宮前建設は東郷神社の事情とは別物でした。
紛らわしかったですが、神社隣接のマンションとして挙げさせてもらいました。
日本社会事業大学が清瀬市に移転したのは1989年。
(土地所有者)池田氏→海軍関連施設→日本社会事業大→東京都?→再生プロジェクト
池田氏と海軍の間に土地の所有者がいたのでしょうか?
小山八幡神社の今昔(ビフォーアフター)、最後に
神社再生事業のビフォーアフター(今昔)はいかがでしたでしょうか。
小山八幡神社の未来の姿が想像できたでしょうか。このプロジェクトが進行して神社が生まれ変われば「あの頃の小山八幡神社は緑がいっぱいでよかったよね」・・・未来の近隣住民はきっとそんなことを話し合うでしょう。
しかし、神社には神社のやんごとなき事情があり、当然ながら私自身は「なんてことをしてくれるんだ?!」と神社に口に出して物申す事ができません。
もし私に財力があれば・・・社殿建て替え費用を差し出すので現状の姿を維持して下さい!と小山八幡神社に申し出たいです。
神社側も本来であれば現状維持しつつ立て替えたい、そうしたいところでしょう。
でも住民説明では寄付の依頼は無かったそうで、最初から再生プロジェクトありきだったのかなと思われても仕方ないですよね。
- クラウドファンディング活用はあるのか?
- 寄付活動は今後行うのか?
- 行政の補助は?
神社側の気持ちもわかりますが個人的には何とか頑張って残す方向で進めてほしいなと。
様々な活動と小山八幡神社開発の行方はいかに・・・。
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