この記事の要点|昭和53年の寝台急行「新星」
- 「新星」は、国鉄時代に上野〜仙台間348.2kmを結んでいた寝台急行列車です。
- 1978年の運転記録では、下りは上野23時41分発・仙台翌朝6時01分着、上りは仙台23時20分発・上野翌朝5時36分着でした。
- 1978年3月当時は、20系寝台客車を使用。A寝台とB寝台を備えていました。
- 誕生の背景には、盛岡行きの夜行急行「北星」と、仙台方面の寝台需要がありました。
- 東北新幹線開業後の1982年11月15日ダイヤ改正で廃止されました。
- 当記事では、1978年3月の時刻表・編成資料と独自作成の路線図を使い、その姿を振り返ります。
かつて、上野駅から東北地方へ向かう夜行列車が数多く発車していた時代がありました。
寝台特急、寝台急行、座席車を使用した夜行急行など、列車の種類も行先も実に多彩でした。
その一つが、上野〜仙台間を結んでいた寝台急行「新星(しんせい)」です。
現在では東北新幹線で短時間のうちに移動できる区間ですが、昭和50年代には、この348.2kmを一晩かけて走る寝台列車が存在していました。
今回は、1978年(昭和53年)3月の国鉄時刻表や当時の車両資料をもとに、「新星」の運転時刻、停車駅、車両編成、誕生の背景を振り返ります。
また、当時の東北本線を走っていたほかの夜行列車と比較しながら、なぜ仙台行きの寝台急行が存在していたのかを考えてみます。
寝台急行「新星」とは?上野〜仙台を結んだ夜行列車
寝台急行「新星」は、1964年10月1日のダイヤ改正で登場した国鉄の夜行急行列車です。
運転区間は上野〜仙台間。東北本線を経由し、首都圏と宮城県の仙台を結んでいました。
| 列車名 | 新星(しんせい) |
| 種別 | 寝台急行 |
| 運転区間 | 上野〜仙台 |
| 経由路線 | 東北本線 |
| 営業キロ | 348.2km |
| 運転開始 | 1964年10月1日 |
| 使用車両 | 10系寝台客車などを経て20系寝台客車 |
| 運転終了 | 1982年11月14日(翌15日改正で廃止) |
列車名の「新星」は、夜空に現れる新しい星を意味する言葉です。
当時の国鉄では、夜行急行列車に「明星」「彗星」など、天体に由来する名前が使われていました。「新星」もその系譜に連なる列車名でした。
1978年の時刻表で見る「新星」の運転時刻
今回使用する資料は、1978年3月の国鉄時刻表です。
当時の東北本線のページには、現在では見られないほど多くの優等列車が掲載されています。
寝台急行「新星」の列車番号は、下りが1101列車、上りが1102列車でした。
下り|上野発・仙台行き
| 項目 | 時刻・内容 |
| 列車番号 | 1101 |
| 上野発 | 23時41分 |
| 仙台着 | 翌朝6時01分 |
| 所要時間 | 6時間20分 |
上野駅を深夜近くに発車し、仙台駅には翌朝6時過ぎに到着します。
夜間に移動を済ませ、朝から仙台で活動できる時刻設定でした。
上り|仙台発・上野行き
| 項目 | 時刻・内容 |
| 列車番号 | 1102 |
| 仙台発 | 23時20分 |
| 上野着 | 翌朝5時36分 |
| 所要時間 | 6時間16分 |
上り列車も、仙台を夜遅くに出発して、翌朝早く上野に到着するダイヤでした。
東京で朝から仕事や用事を済ませたい利用者にとって、こうした夜行列車には独自の利点があったと考えられます。
※上記時刻は1978年の運転記録との照合値です。掲載する1978年3月号の紙面と最終照合したうえで確定してください。
Googleマップで再現!「新星」が走った東北本線のルート
寝台急行「新星」は、上野駅から東北本線を北上し、仙台駅へ向かいました。
当時の時刻表に掲載された停車駅をもとに、Googleマイマップで走行ルートを再現しました。
寝台急行「新星」の運行ルート。1978年3月の国鉄時刻表を参考に、東北本線の線路に沿って作成。青いマーカーは停車駅、赤い線は走行ルートを示しています。
上野から大宮、宇都宮、黒磯、郡山、福島方面へと北上する東北本線は、首都圏と東北地方を結ぶ大動脈でした。
現在は東北新幹線が都市間輸送の中心となっていますが、1978年当時は在来線の東北本線を特急・急行・普通列車、そして貨物列車などが行き交っていました。
地図で実際の線形を追ってみると、348.2kmという距離を夜通し走っていた「新星」の旅を、より具体的に想像できます。
20系寝台客車!「新星」はどんな編成だった?
1978年3月当時の寝台急行「新星」には、20系寝台客車が使用されていました。
20系は1958年に登場した国鉄の寝台客車で、当初は寝台特急「あさかぜ」などに投入され、「走るホテル」と呼ばれた車両です。
冷暖房を備えた近代的な設備や、青い車体に白い帯を配した外観は、それまでの寝台列車とは一線を画すものでした。
しかし、1970年代に入ると14系や24系といった新しい寝台客車が登場し、20系は寝台特急の第一線から徐々に退いていきます。
その結果、余剰となった20系客車は急行列車への転用が進められました。
寝台急行「新星」も1976年に20系客車へ置き換えられた列車の一つです。
つまり、1978年当時の「新星」は、かつて寝台特急の花形として活躍した20系客車が、急行列車として第二の活躍をしていた姿だったのです。
今回の資料には、EF58形153号機が20系寝台客車を牽引する写真も掲載されています。
また、編成資料ではA寝台車とB寝台車が確認できます。
登場時には高級寝台特急の象徴だった20系が、昭和50年代には比較的短距離の寝台急行にも使用されていたことは、国鉄の寝台列車が世代交代していく過程を示す興味深い事例といえるでしょう。
EF58が牽引したのは黒磯まで!直流と交流の境界で機関車を交換
寝台急行「新星」の写真には、EF58形電気機関車が20系寝台客車を牽引する姿が記録されています。
しかし、EF58形が上野から仙台まで全区間を牽引していたわけではありません。
EF58形は直流専用の電気機関車であり、東北本線の直流電化区間である上野〜黒磯間で使用されていました。
一方、黒磯以北の東北本線は交流電化区間となっており、ED75形などの交流電気機関車が活躍していました。
1978年当時、黒磯駅は直流と交流の切り替え地点で、列車はここで機関車を交換する必要がありました。
| 区間 | 電化方式 | 主な機関車 |
| 上野〜黒磯 | 直流1,500V | EF58形など |
| 黒磯〜仙台 | 交流20,000V | ED75形など |
つまり、同じ寝台急行「新星」であっても、黒磯駅を境に先頭に立つ機関車が変わっていたのです。
当時の黒磯駅は、東北本線の電化方式が切り替わる重要な駅でした。
現在では黒磯駅構内の電化設備が変更され、直流・交流の切り替え地点は駅の北側へ移されています。
1978年の「新星」の写真は、寝台列車そのものだけでなく、当時の東北本線の電化方式や機関車運用を知る手掛かりにもなっています。
上野〜仙台わずか348kmの寝台急行に、なんとA寝台も連結!
1978年3月の「新星」の編成資料を見て、特に注目したいのがA寝台車まで連結されていたという点です。
上野〜仙台間の営業距離は348.2km。所要時間は約6時間20分という、寝台列車としては比較的短い区間でした。
しかも、同じ区間には昼行特急「ひばり」が多数運転されており、日中の移動手段も充実していました。
それにもかかわらず、夜行急行「新星」には一般的なB寝台だけでなく、上級設備のA寝台まで用意されていたのです。
もちろん、A寝台が連結されていたことだけで、実際にどれほどの利用需要があったのかまでは分かりません。
しかし、当時の国鉄が上野〜仙台間の夜間移動に対して、座席車だけでなく、設備の異なる寝台を選べる列車を設定していたことは確かです。
現在の感覚では、新幹線で短時間に移動できる区間に、A寝台を備えた夜行列車が走っていたこと自体が興味深く感じられます。
このA寝台の存在も、昭和50年代の上野〜仙台間が、現在とは大きく異なる鉄道輸送の時代だったことを物語っています。
なぜ348kmの区間に寝台急行が必要だったのか?
ここで一つ疑問が生まれます。
上野〜仙台間は348.2km。なぜ、この距離にわざわざ寝台急行が設定されていたのでしょうか。
その理由を考えるうえで重要なのが、当時の交通事情と夜行列車の利用方法です。
なぜ348kmの短距離に寝台急行が必要だったのか?現代の夜行バスとの共通点
上野〜仙台間は348.2km。1978年当時の「新星」は、約6時間20分でこの区間を結んでいました。
これほど短い区間に、なぜA寝台まで備えた寝台急行が必要だったのでしょうか。
夜遅くに出発して翌朝早く到着するという利点は、寝台列車だけのものではありません。当時の座席夜行急行にも共通する特徴でした。
現在の交通機関に例えるなら、夜行バスが比較的近い役割を担っていると考えられます。
仕事や用事を終えたあとに出発し、夜間に移動を済ませ、翌朝から目的地で活動する。こうした時間の使い方は、昭和の夜行列車にも現代の夜行バスにも共通しています。
ただし、寝台急行「新星」には、座席夜行急行や一般的な夜行バスとは異なる特徴がありました。
それは、横になって眠りながら移動できることです。
しかも「新星」にはB寝台だけでなく、上級設備のA寝台まで連結されていました。
利用者は、単に仙台まで移動するだけでなく、追加料金を支払って寝台で休むという選択ができたのです。
そして「新星」の誕生には、もう一つ重要な背景があります。
1964年以前、上野〜盛岡間の寝台急行「北星」には仙台止まりの寝台車が連結されていました。しかし、盛岡方面への輸送需要が増えたことから、仙台方面の寝台輸送を独立させる形で「新星」が誕生しました。
つまり「新星」は、単に早朝到着を目的として設定された列車ではなく、もともと存在していた仙台方面の寝台需要を受け継いだ列車でもあったのです。
348.2kmという距離だけを見れば短い夜行列車ですが、夜間移動の時間的な利点に加え、寝台で休めるという価値がありました。
この点に、寝台急行「新星」が1982年まで運転されていた理由の一端が見えてきます。
仙台駅では発車前から寝台を利用できた
「新星」の特徴として注目したいのが、上り列車の発車前乗車です。
当時の資料によると、仙台発の上り列車では、23時20分の発車に先立ち、21時30分ごろから寝台を利用できる取り扱いがありました。
実際の走行時間は約6時間16分ですが、発車前の時間を含めると、寝台で休める時間はさらに長くなります。
これは、短い運転区間を補うための興味深いサービスでした。
一方、上野駅では発車前に長時間乗車することが難しく、上下列車で寝台の利用条件に違いがありました。
つまり「新星」は、単に348kmを移動するための列車ではなく、夜間に休息を取りながら都市間を移動するための選択肢でもあったのです。
「新星」だけではなかった!昭和53年の上野発・東北方面夜行列車
1978年当時、上野駅から東北方面へ向かう夜行列車は「新星」だけではありませんでした。
東北本線経由の座席急行や寝台特急、常磐線経由で青森方面へ向かう列車など、多彩な選択肢が存在していました。
| 列車名 | 主な行先 | 特徴 |
| 新星 | 仙台 | 寝台急行 |
| 北星 | 盛岡 | 寝台特急 |
| いわて | 盛岡 | 座席電車の急行 |
| まつしま | 仙台 | 座席電車の急行。季節・不定期列車も設定 |
| 八甲田 | 青森 | 東北本線経由の夜行急行 |
| ゆうづる | 青森 | 常磐線経由の寝台特急 |
| 十和田 | 青森 | 常磐線経由の夜行急行 |
※1978年前後の代表的な列車を整理したものです。列車によって運転日・停車駅・経由路線・設備が異なり、すべてが仙台への移動に適していたわけではありません。
ここで重要なのは、同じ東北方面への移動であっても、乗客が複数の列車を選べたことです。
座席車で移動するのか、寝台で休みながら移動するのか。仙台で降りるのか、盛岡や青森まで向かうのか。
さらに、発車時刻や到着時刻、料金によっても選択肢は変わりました。
その中で「新星」は、上野〜仙台間を寝台で移動できる専用の夜行急行として存在していたのです。
「新星」の誕生には寝台急行「北星」が関係していた
「新星」の誕生には、上野〜盛岡間を走っていた夜行急行「北星」が深く関係しています。
1960年代前半の「北星」は、盛岡まで向かう編成のほかに、仙台で切り離す寝台車を連結していました。
当時の編成についての記録では、郵便車を除く12両のうち、6両が仙台止まりだったとされています。
しかし、仙台以北へ向かう乗客の需要が増え、盛岡まで直通する寝台車を増やす必要が生じました。
そこで「北星」の編成を盛岡まで直通させ、仙台方面の寝台需要を別の列車で受け持つことになりました。
こうして1964年10月に登場したのが、寝台急行「新星」だったのです。
つまり「新星」は、単に仙台までの短距離夜行列車として生まれたのではなく、東北本線の寝台需要を行先別に整理する過程で誕生した列車でもありました。
この歴史を知ると、仙台止まりの寝台急行が存在していた理由も理解しやすくなります。
1982年、東北新幹線開業で「新星」と「ひばり」が姿を消した
1982年6月23日、東北新幹線が大宮〜盛岡間で開業しました。
ただし、開業当初は東京側の起点が大宮駅だったため、上野〜大宮間には新幹線連絡列車「新幹線リレー号」が設定されていました。
そして同年11月15日のダイヤ改正で、東北本線の特急・急行列車は大きく再編されます。
寝台急行「新星」も、この改正で廃止となりました。
昼の「ひばり」、夜の「新星」
上野〜仙台間には、もう一つ忘れられない列車がありました。
485系などの特急電車で運転されていた、特急「ひばり」です。
「ひばり」は東北本線を代表する昼行特急として活躍し、多くの利用者を運んでいました。
一方、「新星」は夜間に寝台で移動するための急行列車でした。
| 比較 | 新星 | ひばり |
| 種別 | 寝台急行 | 特急 |
| 運転区間 | 上野〜仙台 | 上野〜仙台 |
| 主な車両 | 20系寝台客車 | 485系電車など |
| 役割 | 夜間移動 | 日中の都市間移動 |
| 定期運行終了 | 1982年11月 | 1982年11月 |
昼の特急「ひばり」と夜の寝台急行「新星」。同じ上野〜仙台間を結びながら、異なる役割を担っていた二つの列車が、同じダイヤ改正で定期運行を終えたことになります。
東北新幹線の開業は、単に所要時間を短縮しただけでなく、上野駅を起点として発展してきた東北方面の鉄道輸送を大きく変える出来事だったのです。
まとめ|昭和の上野〜仙台間には多彩な旅の選択肢があった
寝台急行「新星」は、1964年から1982年まで、上野〜仙台間を結んでいた夜行列車です。
348.2kmという比較的短い区間ながら、20系寝台客車による本格的な寝台設備を備え、夜間移動という役割を担っていました。
そして、1978年3月の時刻表を見返すと、当時の上野駅には寝台特急、寝台急行、座席夜行急行など、実に多彩な列車が存在していたことが分かります。
「新星」は、その豊富な選択肢の一つでした。
また、その誕生には盛岡行き「北星」の輸送需要が関係し、終焉には東北新幹線の開業がありました。
古い時刻表に残された小さな列車名から、当時の人々の移動手段や国鉄の輸送体系、そして鉄道の世代交代まで見えてきます。
今では姿を消した寝台急行「新星」。その歴史は、昭和の東北本線が最も多彩な列車でにぎわっていた時代を伝える記録の一つといえるでしょう。
参考資料・参考文献
この記事は、1978年(昭和53年)3月の国鉄時刻表と、当時刊行された鉄道関連書籍を中心に、寝台急行「新星」の歴史や運転状況を調べてまとめたものです。
所蔵する当時の資料
- 『国鉄時刻表』1978年(昭和53年)3月号。東北本線の列車時刻、停車駅、運転状況などを参照。
- 長谷川章 監修・執筆『こどもポケット百科 ブルートレイン決定版』実業之日本社、1979年(昭和54年)8月1日、第1刷発行。寝台列車の編成、使用車両、機関車などの資料を参照。
鉄道史・列車運転に関する参考サイト
※当時の時刻表・書籍は筆者所蔵資料です。列車の運転時刻や編成は改正時期によって異なるため、本文では原則として1978年3月当時の情報を基準にしています。







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