2023年に誕生100周年を迎えた忠犬ハチ公。
ハチ公に縁のある渋谷区や秋田県大館市では生誕100周年を祝い様々なイベントが催された。
誕生したのは1923年11月10日。もうすぐ101歳である。
一方、ハチ公が亡くなったのは1935年3月8日。
ハチ公最期の地と言われるのは稲荷橋付近である。
銅像のあるハチ公口付近のイメージが強い中で稲荷橋付近と言うのはハチ公にとって少々意外性がある。
稲荷橋付近において具体的にどの辺りがハチ公最期の地になったのか?
ハチ公最期の地について考えてみた。
忠犬ハチ公最期の地は稲荷橋付近
亡くなっているハチ公が発見された場所は一般的に渋谷駅南側の稲荷橋付近と言われている。
稲荷橋はわかりやすく言うと国道246号線と明治通りの交差点付近である。
上野博士を待っていた現在のハチ公口とは渋谷駅を挟んで対角の位置になる。
Googleマップでは稲荷橋の表示が無い。
「稲荷橋広場」が目安となる。
稲荷橋は渋谷川にかかる橋。
橋の南北を流れる渋谷川は現在暗渠(あんきょ:川に蓋をする)となっている。
橋の南側は最近まで川が露わになっていたが、再開発でこちらも暗渠となり現在は渋谷ストリームに隣接する稲荷橋広場になっている。
稲荷橋は橋と言う名前だけではなく橋の欄干も残してくれている。
ハチ公=ハチ公の銅像=改札口、という認識が強い人にとって、稲荷橋付近と言う場所に違和感を覚えるかもしれない。
亡くなっているハチ公が見つかった場所「稲荷橋付近」とはどこなのか?
亡くなっているハチ公見つかったのは稲荷橋付近と聞いた人は稲荷橋でぐるっと周囲を見渡して「この辺りで亡くなっていたんだな」と漠然と思うに違いない。
しかし前述の通り現在の稲荷橋付近は川の面影も無く、また橋の周囲は開発により現在は道路や広場になっていて、どこでどのあたりで亡くなったのかを認識する術は無い。
では亡くなっているハチ公が見つかった場所「稲荷橋付近」とはどこを指しているのか?
亡くなっているハチ公が見つかった場所は酒屋の脇の路地
ハチ公が亡くなった場所の手がかりはネットで検索すればすぐにヒットする。
1935年(昭和10年)3月8日午前6時過ぎ、ハチは渋谷川に架かる稲荷橋付近、滝沢酒店北側路地の入口(現在の渋谷ストリーム駐車場入り口付近)で死んでいるのを発見された。
wikipedia 「忠犬ハチ公」より
・滝沢酒店 北側路地の入口
・渋谷ストリーム駐車場入り口付近、ということになる。
「そのハチ公が亡くなったのは、両親が開いていた原田屋酒店脇の空き瓶などの木箱を積み上げた路地、店へつながる木戸の前でした」と話すのは、渋谷区渋谷、ヒカリエ脇のビルにある老舗の酒類販売、タキザワの瀧澤諒一代表取締役だ。
渋谷・東地区まちづくり協議会「ハチの旅路」より
・原田屋酒店 脇 路地、というワードが追加された。
ハチ公の亡骸が見つかった場所について2つの異なる酒店の名前が出てきた。
この2つの酒屋の場所を探してみよる。
原田屋酒店と滝沢酒店の場所を探す
ハチ公が亡くなった昭和10年の渋谷の詳細な地図を探してみる。
まずはネット検索。
渋谷区立図書館のホームページに大正14年当時の渋谷区(当時は豊多摩郡渋谷町)の詳細な住宅地図の中に「原田酒店」が見つかった。
ネットの検索でヒットした原田酒店記載の地図はこれだけであった。
この地図では滝沢酒店という名称の酒屋の記載は無かった。
原田酒店は見つかったが、大正14年はハチ公が亡くなった昭和10年よりも約10年も前である。
開発激しい渋谷の街で原田酒店の場所は変わってないだろうか?
昭和10年に近い渋谷の地図に原田「屋」酒店を発見
昭和10年に近い地図を探したところ、渋谷中央図書館に昭和8年の地図が存在した(大日本全国各地職業別住所入り地図/東京交通社/昭和8年)。
原田酒店は同じ場所に「原田屋酒店」として記載されていた。
画像の地図はその地図を模写したもの。
大正14年と昭和8年の地図に於いて原田屋酒店は同じ場所に存在した。
タキザワの滝沢代表の証言通り、原田屋酒店が存在した。
Wikipedia記載の「滝沢酒店」は滝沢代表の証言による「原田屋酒店」を指しているのだと思われる。
Wikipediaと滝沢代表の証言では亡くなったハチ公が見つかった場所として渋谷ストリーム駐車場付近、東横のれん街あたりというワードも出ているのだが、あえて原田屋酒店記載の地図のみを情報として、詳細な現在地を特定していくこととする。
ハチ公最期の地 となった 原田屋酒店 の現在地は?
大正14年と昭和8年に記載の原田屋酒店から大体の感じで現在地を推定してみた。
ハチ公最期の地は「明治通りを新宿方面に北上し国道246号線を左折してすぐの辺り」ということになるだろうか。
ハチ公が亡くなったより詳細な現在地は?
原田屋酒店がかつて存在した現在地は推定できた。
次は亡くなっていた場所の詳細について考える。
Wikipediaと滝沢代表による「酒店の北路地 入口」「店に繋がる木戸の前」という証言を先ほどの昭和8年の地図に落とし込む。
これを先ほどの現在地に落とし込むと大体このあたり(黄色い線)となるか。
原田屋酒店と並びの建物は多分渋谷川に直接面していた。
右は中通り(明治通り)、左は渋谷川に挟まれていたようである。
と言う事は、渋谷川側から路地に入ることは出来ない。
このことから、店の入り口は地図の右側であり明治通り側であると思われる。
「店に繋がる木戸の前」(滝沢代表)という証言からも「路地に入って間もなく」か「路地の中間より少し前」で力尽きたと考えられる。
息も絶え絶えのハチ公は明治通り南下し原田屋酒店と隣の建物間の路地に入り生涯を終えたのではないだろうか。
「ハチ公最期の地」石碑を建立するとしたらどこに?
現在「ハチ公最期の地」という石碑はどこにも存在しない。
もしを私が建立するのであればこの辺りとなる。
あくまで推察に基づいたイメージ画像です。
実際に亡くなったハチ公が見つかった場所は、現在の道路にはみ出た部分か歩道橋の階段付近かはわからない。
物理的に構えるとしたら道路側の土地は考えにくい。
ハチ公最期の地は普段ハチ公が行かない場所
ハチ公が亡くなった稲荷橋付近はハチ公にとっては普段行かない場所だそうだ。
渋谷駅改札付近から原田屋酒店までの距離は東横百貨店前を通るとなると約350m。
距離としては遠くないが死を間近に迎えた老犬にとっては決して短い距離ではない。
ハチ公はどのような思いで歩き、ここにたどり着き、そして亡くなったのか・・・。
ハチ公の命日は3月8日
生前のハチ公については多くを語られるところであるが、亡くなった時については深夜であったということもあり僅かである。
亡くなった場所を推定することでここに至るまでの様々なハチ公の情景が頭に浮かんできた。
3月8日はハチ公の命日。
その日は稲荷橋の方向に静かに手を合わせます。
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