渋谷の待ち合わせ場所として余りも有名なハチ公銅像のモデル、忠犬ハチ公。
3月8日は忠犬ハチ公の命日です。
皆さんご存知でしたか?
ハチ公が亡くなったご主人を毎日渋谷駅改札前で待っていた」ことは多くの方が知るところです。
そしてハチ公が最後に力尽きて亡くなってしまうというところまでが皆さんがしっているハチ公のエピソードです。
では・・・ハチ公が亡くなった場所、最後の地はご存知ですか?
ハチ公が渋谷で110年前(1935年3月8日)に亡くなった場所を現代の渋谷の場所に当てはめてみたいと思います。
忠犬ハチ公はどのように亡くなった?
ハチ公の最後は誰かに看取られたのではなくひっそりと独りで息を引取ったのです。
朝の6時半ころ、亡くなっているところを発見されたのです。
ハチ公の亡骸(死亡は後ほど確定)を発見した人が交番に通報し、交番から連絡を受けた渋谷駅の駅員さんがハチの亡骸を引き取りに来たのです。
息を引き取った瞬間を看取った人は誰もいません。
独りで息を引き取ったということ以外は誰も知りません。
当時の気象庁の記録によると、天気は快晴ながら最低気温0.1度ということでした。
いくら寒さに強い犬と言えどもとてもとても寒い気温の中でなく亡くなってしまったのです。
忠犬ハチ公が亡くなっていた場所は?
ハチ公の亡骸が発見された場所は当時の住所です。
東京府豊多摩郡渋谷町中澁谷3丁目41(または45)
まだ渋谷が渋谷区になる前、ということになります。
この住所を現在の地図に当てはめるとこうなります。
明治通りと国道246号線が交差点となります。
この場所に赴くには渋谷駅を出たら渋谷ストリーム方面に向かう必要があります。
この写真の手前側に川が無いのに橋の欄干があります。
この橋は「稲荷橋」です。
実はこの橋の下には渋谷川が流れています。
稲荷橋の北側方向にハチ公が亡くなっていた場所があります。
交差点の反対側からハチ公が亡くなっていた場所を眺めてみました。
稲荷橋の南側は渋谷川がオープンになっています。
ハチ公発見、当時の様子
当時の読売新聞、毎日新聞がハチ公の死をこのように報じています。
とあります。
ハチ公に大いに関わった当時の渋谷駅の駅長も同様の内容の手記を残しています。
当時の渋谷の地図ではこうなります。
国保246号線がまだ開通していないですね。
そして現在の渋谷の画像に表示するとこのようになります。
ハチ公が亡くなっていた滝沢酒店の検証
念のため、当時の地図に「滝沢酒店」があるかどうかを渋谷区立の図書館で確認をしてきました。
残念ながらハチ公が亡くなった昭和10年当時の詳細地図はなかったものの、「大正14年」「昭和3年」「昭和8年」の貴重な地図を確認することができました。
大正14年と昭和3年の渋谷区の詳細地図によると、ハチ公が亡くなっていたと言われる場所にそれぞれ「原田酒店」(大正14年)「原田屋酒店」(昭和3年)の記載がありました。
しかし昭和8年の地図にはその場所から原田酒店の名前が消えており代わりに「金子医院」の名前が確認出来ました。
昭和8年から昭和10年にかけて再びこの場所に酒屋となる滝沢酒店が開業したと考えられます。
「ハチ公最期の地」の石碑を建立をイメージしてみた
現在「ハチ公最期の地」という石碑はどこにも存在しません
建立するなら?
イメージ画像です。
3月8日はハチ公のために手を合わせましょう・・・
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